大人になってからかなり時間が過ぎた40代ころ、モラハラという言葉がマスコミでよく報道されていた。
私が思春期の時、訳あって親族の家にお世話になった時期があった。
その時の体験を少しシェアしたい。
私が関わってきた人と、もし同じような人が近くにいたら、できるだけ早く距離を取り、自分の心を守ってほしい。
でも、どんな経験も意味があるようにも感じる。
説教は3時間以上、前触れもなく突然始まる長時間の説得?
普段は明るくてコミュニケーション能力の高い叔母婿(おばむこ)が、よく家族に果物などの食べ物を買って食べさせてくれる優しい所もあった。
そして、掃除を徹底的に行う人だった。
私にも掃除を指導したり、イカのさばき方を教えてくれたりとマメで、働き者な人だった。
しかし、叔母が、忘年会時期に仕事先の飲み会に行くと、態度が豹変する。
帰宅するまでかなりソワソワと不機嫌になる。
遅くなると、同僚の家に電話して同僚が帰っていないかを、確認する。
そのうえ、毎回一次会が終わるタイミングで、頼まれていないのに必ず迎えに行く。
高校生の時は、その様子をみて、叔母婿は叔母を全く信頼できない人で、その為に叔母は自由がないのだと感じた。
それ以上に、私に叔母の若いころの事を暴露して(あまりよい内容ではない)くることもあった。
身内にそのようなことを話して何の得があるのだろう?と不思議だった。
叔父婿はただ馬鹿正直で、相手の立場や感情を考えるという配慮が欠けてたのかもしれない。
また時に、とても気難しい人だった。
全く予測できないタイミングで、私に対する説教が突然始まる事が度々あった。
前触れのない突然の豹変で、話を始めると誰も止めることはできない。
私は、叔母夫婦の言いつけを守って、週末は掃除、靴磨き、そして、料理(朝食や夕食・自分の弁当作りや週末はお菓子つくり)は毎日行っていた。
家族に姉もいたが、私に対してだけ、必ず3時間の弁論が始まる。
そして、何を怒られているのか分からないまま、謝罪を要求される。
一緒にお世話になっている母も私に
「謝りなさい」と勧められることもあった。
母からするとお世話になっているので、その場を丸く収めたかったのだろう。
しかし、いつも何かが起こると注意をされる。
叔母が一度、家で意識を失って病院に運ばれたことがあった。
その時はすぐに回復して退院、『一過性脳虚血』だと診断された。
その時、叔母婿は『お前のせいだ」と私に言われた記憶がある。
特に叔母を困らせる行動をとった覚えはないが。部活を希望したことなのか?
なぜなら、叔母婿の思うように私が行動していないからか?
実際どんなに注意を払っても、注意される。
とにかく、私が意見を言うなど許されないことだった。
質問もままならない状態だったので、どう理解改善したらいいのか分からない。一方通行に話を聴く状態だった。
一言聞いたことがあるが、すべて叔母婿が正しいく他のものが間違っているという主張だった。
私は叔父とテーブルをはさんで、向かい合って正座し、精神的な影響を最低限するため、できるだけ何も考えないようにしていた。
という工程が3年半ほど何度も繰り返された。
しかも、過去の事を時間をかけて説明され、徹底的に叱責される。私が間違っているかを説明すると気が落ち着くのだろう。
特に学校に呼び立てられたこともなく、一日も休んだこともなく、赤点を取ったこともない。高校生として普通の日常を送っていたつもりだった。
部活も、一度は入部したが、叔母婿の説得で退部した。
自宅の家事を優先するためだ。部活をすると、帰りが遅くなる為だ。
叔母夫婦は正社員で共働きだった。
お説教中に何を言われても、決して自分の意見は発言しない。
もし意見を言えば、必ず論破され、徹底的に私が間違っているという説得?が何時間も追加されることになるからだ。
話を聞いていて、かなり自論で正当性を語っているように話されるが、どうもつじつまが合わない。
そのことは、中高生であろうとも、おかしいと理解していた。
そして、必ず終盤になって
『お前の為に言ってやってるんだ。こんなに疲れているのに」
と言って終わる。終了の合図だ。
が叔母婿の心は晴れているように感じていた私。
そして、そのおかげで、自分にはかなりの忍耐力がついた
その証拠に、定時制の看護学校の生活は、たとえハードなことや、人間関係でどんな事があっても。とても幸せを感じて過ごせたからだ。
干渉されないし、自分の自由な時間がある。
これが、徹底したスパルタ説教のお陰だと感謝する。
また、叔母婿と叔母が私の学費を出してくれたのは感謝すべきことだ。一番お金がかかる時期に親にできないことをして育ててくれた。
そのことに関しては感謝しかない。
きっと説教していた叔母婿は、仕事のストレスや人間関係のストレスの憂さ晴らしだったのでは?と大人になって感じた。
なぜなら、演説を行うとしばらく機嫌がいい。
私も、親になって仕事をすると、やはり人間関係にもまれる。
だからと言って、子供に何時間も説教するのは自分には無理だ。
子供に説教して、コントロールすることが、不可能だという事を思春期の自分が良く知っているからだ。
ストレスがあれば、自分で自分の機嫌を取り、気分転換をするのが一般的な行動だと想像する。
しかし、叔父は一切の趣味や楽しみはなかった状態だった。無趣味だ。
もしかすると説教が趣味だったのかもしれないが・・・・・・
今となっては真実はわからない。
もともと高くなかった自尊心が、大人になっても人間関係に影響を与えた。
当時は、私に、「お前のために注意してやってんだ!」
と長時間の説教で、100%全力での批判と徹底していた。
それが、叔母婿の信念なのだろう。
その行動が理解できずに、本屋で心理学系の本を読んだりもしたが、当時はモラルなどと言われていない時代。
神経症?なのかな?近くの本屋さんでは答えは出なかった。
40代頃に、メディアでモラルハラスメントと取り上げられ、当時ネットで検索して調べた記憶がある。
その時私はモラハラを受けていたのかもしれない??長年の疑問の答えと、衝撃を感じた記憶があった。
人が何気なく言った言葉ですら、「自分が何かやらかしたかもしれない?」「私が悪いからこんなことが起こった?」
ではないかと、自分を責める癖が長年つづいた。
自分の中で、何の根拠もないのに、自分を責めるの言葉がつぶやかれる。
今でも、当時の叔母婿の表情がはっきりと思い出されるのだが
しかも、沢山言われたはずなのに、5つの言葉しか、思い出せない。
当時の私は、自分を守るために、嘘と言い訳の名人となりました。
何か聞かれたときに最もらしい嘘や言い訳を、何個も常に考えているのです。
とにかく責められないように立ち振る舞うのです。
私自身も、家族のことを責められる立場ではありませんね。
その後高校卒業と同時に県外へ、そして、結婚してからは、叔父とはまったく顔を合わすこともなくなった。
逆に結婚と同時に叔父に断絶されたのだった。叔父に最後に言われた言葉は
『お前は頑固だ」だった。
その後、叔母が亡くなったのを知るのは、喪中のはがきだった。
お世話になった叔母には、その後一度も会えなかったのだ。
今になっても、やはり人間関係に神経質な時があって、どうすれば、この場を”うまくやり過ごせるか”に囚われるがあります。
でも、大人になったので、怒鳴りまくる人や、怒りまくる人とは距離を置いて付き合あうように気をつけられます。
しかし、なぜか遭遇してしまうのですよね。
自分が引き寄せているのかもしれません。
そして、自分自身の怒りの感情にも向き合うようになりました。
まとめ
長すぎる説教、相手をコントロールしようとする人、特に人の責任を追及しすぎる人。
そんな人と遭遇することもあります。
残念ながら相手は変えられません。
特に、子供だった場合は、逃げられない状況です。
でも、そんな場合でも、誰かに相談して話すだけでも、心は維持できました。
話を聴いてくれる人が、たとえ理解してくれなくて聞いてくれる人が居るだけで有難く生きる希望になりました。
学校や友達など、家庭以外の場所があれば前向きに過ごせました。
そして、私の場合は、自立して一人で生活するという最大の目標がありました。
もしも、批判されてばかりだったり、お前の為を思ってという人に、重い十字架を背負わせられる場合は、その言葉に疑問を持ってください。
愛情があれば、何をしても良いのではありません。
酷く批判しておいて、ごめんなさいと謝ることで、リセットできるほど、人の心は簡単ではないのです。
相手のことを思えば、厳しいことも言う場合もありますが、本当に愛情があれば、同時に認める言葉も言ってくれる。
特に信頼して待ってくれるものです。
自分に対しても感じていますが、人に責任を押し付けるのは、自分を楽にするためでもあります。
そうすれば、努力しなくても良いからです。
残念ながら、自分が思ったように相手は変わってくれません。
追いつめられると、人は偏った見方しかできなくなります。
私は、20~30代では、被害者意識で生きていました。
年を重ねて、子育てしていくうちに、過去を振り返って
親以外の親族にお世話になった事や実の親への感謝を感じた貴重な体験だったと、徐々に過去が違う認識に変わってきました。
忍耐力を育ててくれた体験は、まるで修行に行ったように感じます。
すべての出来事に無駄はないと・・・・・・
この言葉は、自分自身に対しての戒めの言葉でもあります。
そして、誰にも褒められない認められなくても、そのままの自分でいいのです。
自分が自分を認めてあげるのです。そのままの自分でいいと!
お子さんがいれば、親が認めてあげるのです。そのままの君でいいと!
そして、まず自分を大切にしてください。
あなたは、あなたそのままでいいのです。
私は、一人だと思っても、自分の気づかない所で人に支えられていました。
自分を大切にしたら、次は周りの人を大切にする番です。
悩んだり眠れなかったり、誰でもあると思います。
その時に、出来ることをすればいいし、出来なければそのまま様子見て、またできる事をすればよいし。
どうせなら、面白がって生きるのもいいかもしれません。
だって、いつまで生きられるかなんて、分からないのですから。
人生後半は面白い!がテーマ?というのも悪くないかもしれません。