
3月の雨降る寒い日に末っ子の卒業式がありました。
公立の発表前で、同じようにやきもきした気持ちを持っているまま参加。
高校受験の時も地域によっては公立発表前に卒業式だった記憶がありました。決まっていないと、複雑な心境ですね。
親の参列場所の椅子に余裕があったのできっと参加できない保護者さんもいらっしゃったでしょう。
わたしは、末っ子の卒業式がこれが最後だと思い参加しました。
本人には参加した方が良いかとは聞かず、出席するのが当然とばかりに母親だけで参加しました。
周囲ではお父様や祖父母の方も2~3割ほど参加されていましたね。
3人目の子供の高校卒業式は、今まで参加した中でも少し珍しいところもあり。
今までの学校の先生の接し方が伝わり。心が温かくなる式典となりました。
参加してよかったです。高校3年間、進路選択の対応が後手後手になっていた。気づき。
高校での教育方針を改めて聞いて、「自主的に行動する」とは社会人として大切な要素と感じた。
卒業式の最後に、学年主任先生の話から、学校の教育方針を改めて知った。
高校では、「自主的に動く」という理念で3年間接してもらえた様子。
行事や物事の決定は生徒にゆだね、生徒自身が考え自主的に行動する。アドバイスは必要最低限。
なので、卒業式も、生徒主体なので、上の兄弟とは違った個性のある卒業式だった。
例えば、今までの経験上送辞と答辞は生徒1人で行うところが大半。
今回の式では、答辞を4人で行った。(一人はピアノ演奏。)
また、女子生徒で「ティアラの髪飾りをつけている」生徒を10数人見かけた。
これも、今までなかった学校の卒業式だった。
最後に、先生たちからの卒業生に送るコメントや学校行事での子供たちの映像が上映され式が終わった。
卒業式を通して、恵まれた環境での学校生活だったと親としては感じた。
しかし、母から見る、家庭での本人の学生生活はゲーム一色だったように感じている。
式の途中で泣けてくるところはなかったので、そのまま終わると思った。
しかし、先生が
「生徒たちがほぼ皆が進学できていることは、当たり前ではなくかなり恵まれている環境であること。弱者がいれば手を差し伸べるべきだ」
という話を先日の卒業式予行練習の時に話したと聞いた。
子供たちへの先生の思いを感じて、私は泣きそうになった。
まとめ・考察
卒業式を通して、子供の学校での環境や教師の思いを感じ素敵なご縁だったと感じている。
子供自身も友達に恵まれ楽しい高校生活だったようだ。
母親としては、進路の相談や本人の自己洞察を促す声かけや向き合いが不足していた。
今後も自主性を尊重しながら、子供を見守りたいと考えている。
しかし、もう高校までとは違い大学は学費をかけて勉強する所なので、子供には大学に行く条件を話した。
「もしも留年することがあれば、退学して就職する」である。
私個人意見としては、授業料をかけて、学業を怠るようでは、全く何のために行くのか分からない。
ましてや、将来の目標もなくなんとなく学校に行くのは、高校3年間の二の舞になる。
大学に行けるのが当たり前ではないし、同級生が行くから進学するのではない。
大学に行くのは、自分の知識を広げ、興味関心あるものを探求して学ぶ場所であると私は考えている。(勝手な母の理想)
なので、子供に釘を刺すすような言葉をかけた。
親としては、自分の人生に真剣に取り組んでほしい親の期待の表れだが、子供にとっては脅しの言葉に感じるだろう。
子供が元気なだけで学校に行こうとしているだけでも感謝すべき事だと思う。
そのうえ、前向きに生きて欲しいと思ってしまうのが親の欲張りなところかもしれない。
最後まで読んでいただき有難うございました。