たまには愚痴・批判を言いたくなる?こぼすだけではもったいない!活かす方法は?!

こんにちは、とびおば管理人です。

誰でも言ってしまうであろう「愚痴、本人不在の批判」、

本人が頑張っているからこそ出てくるものかもしれません。

しかし、非情にも他人は自分の思うようには動いてくれません。

でも、ちょっとした工夫で、感じ方や考え方が変わって、コイン裏表のようにひっくり返ることもあります。

今日は、過去に愚痴や批判を聞いたり自分が発した後に、そのままにせず、気づきやヒントに活かす方法ついてお伝えします。

ちなみに、これは私が今まで経験の上の自論です。

愚痴や批判をただ話す・聞くだけでなく、今後に活かそう!

確かに、お酒の席でも、お茶してる時でも、愚痴や批判を話して、「すっきり~!」共感され、慰められ、発散できた~となります。

それは、残念ながら、私には、一時的な効果でしかありませんでした。

まるで掃除と同じように、きれいにしてもすぐに汚れるみたいに……話しても話しても底なし沼のように、愚痴や不満が湧いてくるのです。

確かに、当事者の本人は大変な思いをしていると思います。

皆それぞれが、自分の課題に向き合って、人間関係に悩まされ、時に振り回され疲れる。(まるで修行のようです。)

そんな時に、是非やってほしい事があります。

自分の気持ちをとにかく文章にする事です。

その時の出来事を、順不動でも良いので、5WHYで箇条書きします。

次に、自分の感じたことや思ったこと、良い悪いの判断なしで、「相手に言えなかったけど言いたいこと」などなんでも書きます。

その次に、じゃあ、どんな状況になれば良いのか?自分はどうしたかったのか?

それをひたすら書いて、自分の心と向き合うのです。

そのうえで、気づきや、出来る可能性がある方法、何もできないなら、自分の心を守るためにできる事はないのか?など考えます。

また、出来事に向き合っていると自分の気づかなかった見方に気づき、物事の受け止め方に変化が起きることがあります。

素の気づきから、自分の受け止め方・考え方が変わると、例え同じような出来事が起こっても、周りの反応に変化が起こることがあります。

逆に他人は変えれないですが、自分の考え方や感じ方はいつでも変えられるのです。

意外と、過去の経験から、無意識に同じような反応をしてしまうことがあります。

自分の考え方受け止め方に心持が変わる=周りが変化する

ように感じています。

また、私を含めて、人間は環境に慣れる生き物で、「今の現状が当たり前で、もっと改善すべき事がたくさんある」とあるものよりも、今ないものにフォーカスしてしまいがちです。

今当たり前になっている部分は、他の人支えや協力、過去の人による功績により得られているかもしれません。

また、自分一人では成しえない仕事をしている場合もあります。

何が言いたいかというと、感謝の気持ちを忘れないようにしたいのです。

愚痴や批判は日常的?憂さ晴らしになっている?

私自身の愚痴が始まったのは、確か、思春期の頃から?

当時は、親族から「~するべき」「~するべき」と言われ、いわゆる過干渉されていた状況で、たしか、バイト先の大人のお兄さんに状況を聞いてもらった記憶があります。

当時はその時の1回だけ聞いてもらって、ただアドバイスもなしに心が収まりました。

その後も家族でのもめごとや過干渉があったときに、友人や喫茶店店主の方にお話を聞いてもらい支えてもらいました。

確かに、誰かに話すことで、ぎりぎりの心が少しゆとりができた記憶があります。

話すことは癒すことの一つになります。

しかし、50代になって思うのは、話を聞く為には心に余裕がなければできないものであるということも感じています。

時と場合によりますが、人によっては負担に感じる場合もあります。

社会人で20代のころは、自分は愚痴をこぼすこともほとんどありませんでした。職場で夜勤になると、職場のスタッフの中で他のスタッフの批判を必ずする人が目につきました。

そのスタッフは、その場にいない人の事をいつも批判的に話す印象があり、例外なく自分も言われているだろうと感じました。

その後は、30代になって、家族で問題が起きたとき、泣きたい時には、親友のママ友と相談し合って励まし合った記憶があります。

40~50代は、仲良しの同業者や一般職の友人と時々会って、お互いの気持ちを話していました。

その中には愚痴も含まれいて、話した後、逆にぐったりと疲れていました。

最終的に私の場合は、

愚痴=言うのも聞くのも疲れる となりました。

そして、50代になり、近しい人から、沢山聞くようになり、最初は自分も話して発散していた?が……。

そのうち、話を聞いても、自分が話したとしても、心が詰まってあまり前向きにならないように感じ始めました。

腰痛やいろいろな関節が傷み始めました。

愚痴でも批判でも、口に出して話すと、するすると流れてしまい、「何が問題なのか?」「なぜそんなに苦しいのか?」

など、解決に向けての気づきが浮かばず時間だけ過ぎてしまい。

結局心の内を鬱積をこぼすだけで終わり、何も解決しないので、それが繰り返されるような感覚になって行きました。

確かに、伝えたり話したりすることは、人との信頼関係を作るため必要な要素です。

しかし、潤滑なコミュニケーションなら良い人間関係を作りますが、愚痴や批判に関しては、時に人間関係に溝を作る場合もあります。

愚痴で終わらせずに、逆に正直に、相手にアイメッセージで言いたいことを伝えることにより、相手から協力を得られる場合もあります。

少なくとも、ノートに自分の考え方を書いて、自分の気持ちをはっきりと理解して自分を守る方法を考えることができるので、私は、この方法が気に入って実行しています。

特にポイントは、自分の気持ちを受け取って、親友のように自分に言葉をかけて欲しいのです。

自分で自分を受容して、自分を励ますことが肝心。

ただ、難点が2つあります。

一つは持ち帰って考えるので時間がかかること。

もう一つは、自分から見えない盲点になっている部分がある。

自分が理解できてなくて、逆に周りの人からは、見えている部分もあります。

独りよがりにならないように、共通の人が居る場合は、気になる部分を聞いてアドバイスをもらうことも時に必要です。

まとめ

頑張っているからこそ(より良くなりたい)愚痴・批判が出ています。

それを話しっぱなしにするのはもったいないです。

活字にして、現状を主観・客観的に見つめ、自分の気持ち、周りの状況を把握、その中で、工夫できる所はないか?改善できることはないか?考える。

その中で、自分だけでは見えない視点もあるので、共通する人のアドバイスを聞くのも一つの方法。

自分一人ではできないことも多い、感謝の気持ちを忘れずに取り組む。

また、自分の内面の見方が変わるだけで、周りの反応が変わることもある。

怖いことに、例え話さなくても、相手には伝わることも多い。

敏感に察する能力の高い方も世の中には存在します。

何より、自分の気持ちを大切に、自分で自分を受容して、励まして自身の一番の理解者になりましょう。

最後まで読んで頂き有難うございました。

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