身近な人が逝去、気づきと今後の生き方を考えた。

今まで一緒に働いていた人が 天に召されることを体験したことがある。

突然の病死だった。

驚きと混乱の後に、自分の人との接し方の気づきと、これからの行動を考えさせられたのでシェアします。

訃報を聞き、信じられない!上司の知らない一面を関係者から聞く。

数か月前に、一緒に働いていた上司の訃報を電話で知らさせる。

最近入院して 退院したと聞いて安心していた
その後、あっけなく天に召される。

現実はなんて残酷なのだろう。

「うそだ!」「信じられない」私を含めた職場のスタッフ皆が現実を受け止めきれない。


その後、上司が逝去された件を、取引先の人たちに 平静を装って電話をかける日々が続く。

電話先から、 「言葉にならない」「どうして」「うそでしょう」「ご愁傷さまです」「今まで大変お世話になりました」「昨日まで元気だったのに」という反応。

数日間、 電話をかけるたびに 心が詰まったような感覚と

現実ではないのではと疑う気持ちが起こる

職場のスタッフからも、亡くなった上司に対して「もっと○○していればよかった」と後悔の言葉が・・・

誰も何も答えられないままその声は消えていく。

後悔しても やり直せない 戻ってこない 人生は一度きりであることを改めて噛みしめる。

地域の仕事で関わりのある人たちが来て 上司のこれまでの考え方や目標だったこと、仲間との付き合い方を聞いて驚いた。

そんな風に考えていたのかと、知らないことも多かった。

主に”地域の医療に貢献するために、どうやったら地域医療の仲間を増やせるのか”と常々話していたらしい。

故人はかなりストイックに見えた。 人とあまり付き合わない孤独が好きな人だと思っていた。


そして、仕事に熱い目標や改善を目指して頑張っていた上司

皆さんからの話を聞くたびに 感謝の言葉が聞かれる

人は天に召されたときに、はじめてその人の価値を示されるのだろうか

スタッフは長期菅勤務した人も多く、上司は人を信頼するまで時間がかかるタイプであったという印象を受ける

2~3年くらい一緒に働いたくらいでは信頼関係が築けないでいた

やっと少しは話せるようになったのは5年を過ぎたころだった。

上司は過去に、スタッフの中で裏切られた気持ちを持ったことがあるらしいと、 後で他のスタッフから聞いた。

そのことを知り、何だか妙に納得した 今までの行動は自己防衛だったのか?

時々誰に対しても、 酷くきつい言い方をすることが目につき 上司を批判していた私。

その感情が、亡くなる数週間前に 私が上司に対して怒を態度に出してしまったことがある。

私の態度に上司は何も言わなかった。静かに何も言わずに聞いていただけだ。

そのまま上司は天に召された。

上司との別れと気づき

葬儀の前に面会できると聞いて、スタッフや元スタッフが会場に集まっていた

上司はまるで眠っているように穏やかなお顔であった

いつも身につけていた衣服を着ている上司は、良い父親を感じさせる身なりだった。

ご家族に亡くなった当日のことを聞き、やはり突然の別れであったことを理解した

そして 上司を知る人物は 「いい人だった」「本当にお世話になった」をよく耳にする

仕事をするときの上司は ストレスがかなり溜まっていたのか 怒ること多かった。

一度怒り始めるとその後の仕事に支障があるので、最近は できる限り小休止休憩をお勧めしていた。

しかし、お別れ前の上司に対しての私の態度は、以前《命には限りがある》と20代に学んだことを、まったく活かしきれてなかった。


誰であろうとも、その日が最後のお別れの日になるかもしれない。

<お別れしてからの気づき>


・人を一側面でしか判断していなかった。

・人それぞれの個性や価値観を許容すること。

・自分をマイナスな部分も受け止めた上で、自分や人を赦すという事

・その時にできる最大限の行動をしていたか

よくよく考えれば 私自身も未熟なところがあり 冷静でいられない部分があった。

私から見た部分と、周りの人からの言葉がかけ離れて、マイナスな側面しか見えていなかった。


もしかすると、上司も部下に対してそうだった部分もあったかもしれない。

上司の部下や仕事に関わる人への嘆きも時々耳にしていた。

自分も上司と同様に嘆いているだけではなかったか

けれども、私も含め死ぬまで完璧な人間はいないし、未熟な部分があるのが当然だ。

自分自身の一方通行の独りよがりな思考の中で、人をジャッジして 勝手に怒っていた自分の懐の狭さを自覚。

「いい歳して何やってたんだろう・・・」

また、相手を受容できないまま相手に合わせるから 感情がこじれる。

これは 相手に責任を押し付け、人のせいにして自分の心を軽くしていただけではないか。(それを愚痴というかも)

更に、赦せない自分に対しても、ダメ出しをして、自分の基準に合わない人を責めていた。

「~すべき」の価値観の押し売りだ。

この~すべきは、ややこしい。

相手がそうしないから、ダメと思うのは、規律や法律を破っていない限りは、単に自分の価値観だ。

それが常識だと自己が思い込んでいる節がある。

なぜなら、その常識を守らない人をみて、自分が否定されていると感じるだけで、罰せられることなどないからだ。

相手は赦されるのに、自分はなぜ赦されないの?

相手がわがまま?となっていた。

そんなに納得できなければ、正直に本人に自分の意見を伝えるべきである。

伝えた上で、拒否も受容も本人の判断することだ。ましてや、他の新しい価値観があっての行動かもしれない。


まとめ

独りよがりは、自分を始め、周りも苦しめる。

そのうえ後悔しても 2度と故人と話すことはできない。

私は、相手を批判しこうあるべきと、自分の正義を正当化し、 相手の考えを理解できてなかった。

コミュニケーションの努力は足りていたのだろうか。

相手には相手のそう考える理由や価値観がある。 

単に自分のこだわりに固執せず、相手とのコミュニケーションが重要だと感じた。

今という時間を一生懸命に生きる。

20代に一緒に働いたスタッフの死を体験した時に肝に銘じたことだった。

そして、精一杯行動するという事

自分の命の有限さを意識すること 

このままで良いのか(本音や正直な気持ちをはっきりさせる)などを考えさせられた出来事であった

今回のことを書き記し、未来の戒めにしたいと考えた。

成人した子供に亡くなった上司の話をすると

「来世への課題の持越しだね」とぽつりと言われた

時間はかかるかもしれないが、今回の課題を墓場まで持っていこうと思った。

最後に、共に働いた上司やスタッフにはとても感謝し、上司のご冥福を祈っています。

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