子供の受験、親に何が出来る?10

こんにちは、 とびおば管理人です。

とうとう高校3年の夏休みが終わってしまいました。

夏休みに基礎的な勉強をと意気込んでみたものの

結局、達成ならず、先は長い見通しです。

夏休み中、体調が悪かったり、動画に誘惑されたり。

今回は、そんな子供の気持ちを知りたくなって

本人問いかけた日もあります。

それに、私の子供に対する行動も問題があったと感じている。

親のあがきと最近の想いを言葉にしてみます。

夏休み終盤、子供に気持ちを聞いてみる

基礎的な(1~2年)数学・英語の履修が、英語はもう少しで終わる。

しかし、数学は、まだまだ、進んでいない。

夏休みの始めに、勉強のモチベーションを保とうとして、本人が1時間勉強したら、10分ゲームをすると決める。

しかし、結局そのモチベーション保持作戦は、続かなかった。

1週間~10日は続けたのだろうか。

(子)「ゲームで強いドーパミンを生産していた」と本人は語る。

今後は、ドーパミン生産できないから運動するそうです。

勉強はなかなか進みませんが、本人の発言は

(子)「勉強は嫌いじゃない、勉強すれば理解はできる。でもやる気が出ない」と本人は話す。

それでもセンター試験の過去問を購入し、少し解いてみていた。勉強不足で難しかったようだ。

何より、大学の志望校を、『近くて、学費の条件と知名度?』で選んでいる。

という決め方になっている現状、子供の本来の志望動機ではないのでは?と考えている。

本人に再度、聞いてみた。

(親) 「親がいろいろと条件を言ったから、私立大学をあきらめているのではないか?」

(子)「私立の志望校を、どうしようかと悩んでいたから、公立だけになって良かった。」

親からすると、すでに高校2年から勉強についていけなくて、勉強に困ってやる気をなくしていたのではないか?

しかし、高2の時も、塾の話をしたが、本人は嫌だとはっきり言った。

ましてや、勉強をする習慣がないのに、夏休みからいきなり6時間はかなり無理があった。

最後の方は、文庫本を買って、読み出したりしていた。

そうこうしているうちに夏休み終了。

勉強する習慣をつけなかった私が元凶であるが、どうしたものだろうか?

何か、一緒に考えることはできないだろうか?

しかし、正直な気持ちを話しているようで、何だか引っかかる。

何か、本音が隠れているように感じる

質問をいろいろ試してみるがその答えはまだ見つからない。

「勉強は嫌いじゃない」

「大学はどこでもいいわけじゃない」

これだけはハッキリと明言する。

一瞬、他の塾にすべきだったと本人が後悔するも、今更塾を変えるもの考え物だ。

自学自習だけが、頼みの綱なのだ。

何より問題は、本人が大学に進学したい。という熱が感じられない所だ、

もちろん、高校生の皆が明確な目標を持っているとは限らない。

しかし、この大学に行ってみたい。ここで勉強してみたい。

などと、小さくても何らかの目標があるはずだと思う。

もちろん、大学に行けば就職率が高くなる。

なんだか、条件で選んで、自分の本心に従ってないように感じるのが、とてももやもやとするのです。

今後、たとえ大学に行けたとしても、なんか違ったとはならないだろうか?

なんだか、やらされ感覚の臭いがしている。

情熱があれば、壁を乗り越える助けになる。

そういう堂々巡りが頭をめぐり、まだ方向性は見出していない。

とりあえず、これからは、自分の行きたいと思う、学校を選んでほしいと伝え続けてみようと考えている。

ただ、就職するために大学は卒業しないと。

それも大事なことだが、本来の目的がずれているのではないだろうか?と思ってしまう。

勉強の計画も嫌、気が向いた時勉強する。

目標達成はかなり厳しい。

親の問題点

理想と現実のギャップがあり過ぎて、自分の子供だが、私の予想をはるかに超えている。

子供を通じて、学ぶべきことがあるのだろう。

私は、夏休みに子供が勉強していないと

(親)「後悔しないようにね。」「どうやって勉強の計画立てる」

と言ってみたり。

自分の不安や心配から逃れるために、コントロールしようとしていた。

その行動は、「子供のために」と都合の言い言い訳で自分の不安を解消しようとしていたと振り返る。

実際には、子供の人生で、最終的に子供が選んで責任を取るしかないのが現状だ。

しかし、放置しておくことはできない。

なので、 今後のスケジュールや、共通テストを受けた後のその後の方向性の決め方を調べたりしている。

それとも、親の本音を本人にダイレクトに伝えるべきなのか?

まとめ

受験は、学校の選択だけでなく、専門性のある科を決める為に、将来的なことまで考えなければならない。

非常に悩み深い時期だ。

しかし、受験を通じて、子供の成長を感じたという知人の言葉から考えると、チャレンジという言葉がふさわしい時期なのかもしれない。

不安は尽きないが、子供の成長を祈り、過干渉やコントロールにならないように、見守ることが必要だと考える。

子育てとは、親になるための教育はないが、こればかりは、ぶっつけ本番だ。

実際にやってみて学ぶしかないのが現状。

今日も最後まで読んで頂き有難うございました。

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