過去のメモから、自分の心の課題を発見「周囲の人は自分に気づきを与える鏡?」

こんにちは、とびおば管理人です。

先日13年前のメモから、過去に気づけなかったハット気づきがありました。

その当時は全く気付かず、過去の自分の心の状態が当時の出来事を引き起こしているとは考えられませんでした。

しかし、母親からの過去の苦労話を聞いたことを考えると、親子で、親の課題が解決しなければ子供にも同じようなことが引き起こされるのではないかと考えます。

逆に考えると、自分の心を整えて行けば、子供への影響が無くなってくれるのではないか?と考えます。

周りを変えようとするなら、コントロールをするのではなく、まずは自分自身の意識考え方を変えることが現実の変化が早いことは、自分の経験上なんとなく理解してきました。

今日は、気づきと今後の自分の意識の改善法について考えます。

過去の思い出したくない感情はどこへ?

過去の出来事で、親子でも学校でも職場でも、集団行動や上下関係や友人関係でも、価値観の違いなどから、批判や否定を受けたりすることがあります。

子供の時から、その状況をうまく言葉に出して、表現してその場で解消できれば問題ないのですが。

あなたの場合は、どうでしたか上手く表現してその時に解決していましたか?

私の場合は、物心ついた幼稚園の頃から、一人で悩んで、友だちや家族にも話さず、自分の心の底に感情を沈めて見ないふりしていた記憶があります。

また、子供のころの自分の社会性のモデルは身近な家族です。

その家族が、怒りを人にぶつけて解消していた様子を何度も目撃していたので、怒りは悪いもので周りの人に出してはいけないものだと感じていたように思います。

しかし、自分の父も祖母も怒り易いタイプで、自分もまた怒りやすい性格だと自覚しないまま大人になりました。

その後、怒り易い私は、その感情に蓋をして、「心の沼」に感情を貯蔵していました

ちなみに「心の沼」は20代のころ受講した心理講座で学んだワードです。

心の沼=深層心理だと理解しています。

また、普段の顕在意識では自覚していないので厄介な部分であるが場合によっては力強い味方になるかもしれない。

今思えば、怒りの感情も自分を守ったりする働きがあり、相手への伝え方や方法を冷静に対処すればよかったのですが。

その後も、小中学校での批判(いじめ)や高校での親族からのモラハラで怒りと悲しみを深層心理に貯め込みます。

成人した頃は、「心の沼」は満タンになっていたようです。それを上記の20代心理セミナーで発散しました。

その時は感情をすべて出し尽くしたように感じていましたが、残念ながらその後も夫や子供の悩みへと続きました。

後から思うのは、1度くらいのセミナーですべてが解決するはずもありません。

子供にも起こった似た現象?解消できていない人生の課題?過去の認識を変え前進するには?

過去の自分と同じように、子供の学校での問題が起こり、まったく自分と同じような状況になりました。

親子での共通点は、色々言われても、何も言わず黙っていた事

親に相談しても、心配かけると思い、兄弟にも(先生にも友達にも)相談せずにただ耐えただけだった。

周囲に頼ったり弱さを見せることができなかった。

蓋をして忘れたふりをしていた、自分の感情を見つめ直すことに、

それは、怒りよりも悲しみが残る感情だった。

しかし、問題となることは、その中に、自分が人を見下している感情がなかったか?という事。

なぜなら、見ず知らずの女子に、試される行動をされたからだった。

: 過去のメモから、自分の心の課題を発見「周囲の人は自分に気づきを与える鏡?」

夏に受講していたエニアグラムの講座の中で、単にエニアグラムはタイプ分類の学問ではなく、8つにタイプすべてが自分の中に存在するという事だった。

という事は、鏡の法則を考えると、自分の中にも女の子と同じような感情を他の人に抱いていたのではないだろうか?

という事だった。

相手ばかりを責めているけれど、自分はどうだろうか?

しかも、ややこしいことに、人の思考は何だか根っこでつながっているように以心伝心することがある。

偶然ではなく必然だったのか?

子供の学校の問題は、母親が母親に謝って終わりとなった。

果たしてそれが万全な解決方法だったかは分からないが、自分自身は後味の悪い解決法だったと感じてる。

しかも、自分の心を見直すチャンスを逃していた。

そのような、見て見ぬふりをして臭いものに蓋する行動は、その後も続き、職場の人間関係がうまくいかない

人は鏡と言うが、それを相手の責任にして逃れ、受け止めなかった結果だ。

実際には、自分にも相手と同じ部分があるのに、自分にはそんなところはないと完全に勘違いしていた。

見える景色や状況は自分が招いているモノとは全く気付かないまま人を変え場所を変え同じようなことが気づくまで繰り返される。

しかし、かなり後になって、相手の行動や言動を紐解いて、考えてみると自分の中にも相手の嫌な部分が明らかにあるのを感じた。

それを感じたのは、ディマティーニメゾットという、セミナーの体験講座を受講した時の事だった。

その講座では専門のファシリテーターというコーチがいて、メゾットを進めていく。

最初は一番嫌だったことなどを紐解いていく。

そこでいろんな質問に自分で向き合うと、ハット「自分も相手も同じだと気づく時があった。」

ディマティーニメゾットは書籍でも販売されているので、興味がある方はのぞいてみると良いかもしれません。

本格的な講座を受講する場合は、それなりの料金も必要になるので、心理学の講座を受講したことのある方には予測できる料金かもしれない。

私自身は、まる2日という本格的な受講はしていないので、今後機会があれば挑戦してみたいと考えている。

何より自分が偏ったものの見方をしていたことに気づけたこと良かったと感じている。

しかし、まだまだ、心の課題は残っていて、今後も自分と向き合う予定。

この記事の振り返りもその一部になる。

何より、気づいた時に振り返り、過去の印象を顧みて自分の感じた感情をそのまま受け止めることが何よりも大切だと感じている。

・とにかくそのまま感情を受け止める(良い悪いの判断は必要なく、起こった出来事自体は善でも悪でもない)

鬱積する感情を自分なりに受け止める方法は?

1、特に過去に印象に残った事から思い出してみる。日記に状況や自分のその時の感情など書く。特に、自分が感じる感情に注目する。

2、感情を表現するために相手に出さない手紙として「赤裸々に自分の思い」を書く。

3、感情が湧いてきたら、自分その思いを「○○だったんだね。」と受け止める。

また、言葉に出してみたり。歌ったり、音楽を聴いたり、お風呂に入ったり、運動したりして発散する。(その時に対処する)

4、客観的なアドバイスが欲しい時には、信頼できる人と話して意見を聞いてみる。自分の判断が正しかったのか冷静に見つめる。

5、単に、「相手が悪い」「自分が悪い」で片づけない。自分も相手も、良いも悪いも肯定して受け止める。(出来事は中立だ)

6,その当時は、「自分はどうしたかったのか?」今後同じようなことがあった場合は、「どう対応するか?」考えておく。過去の経験を活かす。

7、感情が消化できない時は時間を置いてから再度行ってみる。意外と古い記憶は時間が経過してから思い出されることも多い。

まとめ・考察

就職しても、数年で退職を繰り返し、自分の母親のように、自分の意見を全く言わずにただ感情を貯めて体調を崩しがちだった事にやっと気づいた。

特に最近までは、私の眼には怒りの感情が目立っていたからだった。

それは、自分自身にもまだその感情が根強く残っているようにも感じる。

もしかすると、「人は鏡」は、人は映し鏡となって自分に大切な気づきを与えてくれるのかもしれない。

しかし、何十年経過してもその感情が残っている場合は、時々向き合い。自分の心を受け入れ感情の消化していきたい。

もしも、自分の蓋をした記憶が未来に影響を与えるとすれば、出来れば同じようなことが起こらないようにできれば改善したい。

周囲の人の言動も自分の一部分であるのかもしれないと考えて、今後も人間関係を築きたい。

年を重ねるたびに気づきを得て、今後をどう生きるのか?考えさせられるこの頃です。

何より楽しみながら生きることが最大の目標であるべきなのかもしれない。

最後まで読んで頂き有難うございました。

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