
こんにちはとびおば管理人です。
あなたは、職場や家族、ママ友との間で、板挟みになった経験はありませんか?
私は最近、仕事での人間関係に悩む知人の話を聞く中で、
私自身が過去に経験した「板挟み状態」の辛い記憶がよみがえりました。
その時、「どう対応すれば良かったのか?」を改めて考えると、
「なぜ私たちは板挟みで苦しくなるのか」
「どうすれば少しでも楽になるのか」
というヒントが見えてきました。
過去の私に向けてのメッセージという視点で書いてみました。
どうして”板挟み”がつらいのか
両者の意見が対立、どっちつかずになった時の葛藤
一方に賛同すれば、もう一方との関係が悪くなる。
共感した一方に、肩入れすれば、ママ友などの場合は派閥に発展する可能性は高い。
公平さを保ちたい気持ちと、寄り添えない気持ちとの葛藤
親や教育者や上司などの場合は、立場上平等にする意識があるのではないでしょうか。
私自身、子供を3人同じように育て、接してきたつもりです。
しかし、現実的には、各々の子供によって学費や必要なパソコンの機能等に、
違いがみられました。
すべての子供の要望を叶えることはできません。
直接口にしなくても、不満そうな表情を浮かべることもありました。
また、職場では、チームで仕事を役割分担します。それぞれ、仕事の内容の質や量の負担は
平等になるとは限りません。
パート勤務一つでも、曜日や時間など個人的事情を考慮するので、
人によっては私の意見がほかの人よりも通らないと不満を持つ場合もあります。
また、割り振った上司も、スタッフが不満を募らせれば
モヤモヤと葛藤が残ることもあります。
そして、相手が不満を感じている場合、希望に添えなかったという罪悪感を感じます。
物事を一人で解決できる裁量は与えられないのに、責任だけはある
それぞれの意見や立場があり、同じ目標を掲げているはずなのに、
意見を伝えて話し合った結果、うまく解決に至らない場合もあります。
現場に近い人ほど、本質的な問題があることに気づいているのに、
上司に伝わらない場合は、ジレンマを感じます。
また、仕事上ではそんな状態でも、会社全体の目標を果たす責任があります。
出来ることは限られているのに、本質的な問題を何とか解決できない時、葛藤が続きます。
共感力の高い人は人を優先し、自分を後回しにしやすい、「いい人」だからこそ葛藤
相手の立場や状況を想像し共感力が高いほど自分を後回しにして、
困っている人を助けたい気持ちから、相手の感情まで背負い込んでしまうこともあります。
また、悩んでいる人は、話を否定せずに聞いてくれる人に、つい相談したくなるものです。
問題が長期化し解決に時間がかかれば、疲弊していく可能性もあります。
なぜ人は”板挟み”になるのか
「本音を言いずらい」環境
上司や同僚が本音を話し合える環境なら、相談しながらより良い改善策を考えられます。
また、仕事を役割分担している場合は、それぞれの持ち場や担当者が、情報を共有した方
が、改善点を発見しやすくなります。
そんな環境なら、板挟みに悩んだり、孤独感を感じる事はないでしょう。
しかし、職場や友人関係で ”波風を立てない”
という傾向があれば、本音を言えなくなり相手に合わせてしまい孤立して疲弊します。
頼られやすい性格と責任感
そもそも、相手の意見をバッサリ切ったり、自己主張をして「それは無理」とサバサバして
いれば、そんなに悩まないかもしれません。
また、周囲を優先し、「私が何とかしなければ」と考えている人ほどストレスは増え
長期化して、疲弊につながります。
板挟みの時の対応策、自分も周囲もより良い方向へむかうには
自分の素直な意見を話す
相手の気持ちに共感すると同時に、共感したままにしない。
自分の視点や感じた内容を相手に伝える。
人はそれぞれとらえ方や考え方が違い、自分の物差しで人を判断する事が多い。
そして、価値観のギャップが大きいほど溝が深まります。
情報が不足したり、誤解をしている様なら、必要な情報を伝えることで印象が変わるかもし
れません。
当事者同士で話し合ってもらう
板挟みになって、伝言板になった場合は混乱が生じることもあります。
「それは直接本人に言ってみたらどうだろうか」と促すことで話が進む可能性もあります。
相手の悩みを自分が改善しようとしない(中立を保つ)
身近な人が悩んでいれば「何とかしたい」と考えても、
本人にしか改善できないことも多々あります。
逆に手を差し伸べて、違った方向に向かわせたり、一緒に倒れてしまっては本末転倒です。
相談した人を信じて、見守る事が必要な場合もあります。
物事を、冷静に見ることで改善点が見つかるかもしれません。
1人で抱え込まない。自分を守ることも必要。(距離を保つ)
職場での摩擦は解決までに時間がかかる場合もあります。
角度を変えてみたり、それぞれの意見のズレに、一番の問題は何か、
それぞれの要望は何か、お互いの立場での程よい折衷案はないか。
遠くから眺めてみたり、別の角度から見直したりすることで、新たな気づきが生まれること
もあります。
また、かかわる人皆で意見交換できれば、解決に向かう可能性は広がります。
やはりお互いの思いや気持ちや考えを、理解しあわなければ、一方通行の押し付けとなります。
力を尽くしても、よりよい方向に向かわなかった
自分が出来る事には限りがあります。
たとえ、力の限り、周りの気持ちを聞いて、問題解決にかかわっても、お互いが納得できな
いこともあるでしょう。
しかし、板挟みになった時点で、相手の考えを聞いただけであなたは十分お役に立てています。
例え、人に話すだけでも、心の整理がついたり心が軽くなったりするものです。
まとめ
私も今まで、サンドイッチ具材の様に人間関係の間に立ち、辛い思いを何度か感じた事があ
ります。
人と人との間に挟まれ、気持ちがわかるからこそ悩んでしまいますね。
そんな時大切なことは、周りの人ばかりに気を取られず、自分の心を置き去りにしないこと
かもしれません。
そんな過去の私に、現在の私の心の本音を伝えるとしたら。
「もういい人やらなくていいんじゃない」
「起こった出来事に自分が責任をすべて背負う必要ないよね」
「人に引っ張られると自分の大事なエネルギーと時間が消耗するよ」
と叫んでいます。
高校の時から、家族に「~すべきだ、なんでそれが出来ないんだ」と言われて、大人になっても周りの期待に応えるのが当然だという根強い考えの癖に気づきいた時、啞然としました。
そんな経験から
”相手に肩入れせず、少し距離を置いて見守る”
”共感だけではなく自分の思いも言葉にする”
そして、”自分一人で抱え込まずに、他の人の力も借りる”
そうやって、少し距離を置いて冷静に接すると、板挟みの苦しさは少し弱くなるような気が
します。
以前、私が板挟みになった時に、相手は自分の主張を通すために、私に「○○って言ってほ
しい」と頼まれたことがあります。
その時私は、「私を使って相手を変えようとしている」と違和感を感じたことがあります。
でもよくよく考えると、それって自分も子供にやっていました。
当時は、子供が勉強しない親の不安から、先生から意見してもらおうとしたことがありまし
た。
でも、本人の気持ちがないままでは行動は変わりませんでした。
結局、大切なのは、相手を無理に変えようとするのではなく、お互いを尊重しながら
「丁度良い折り合い」を見つける事だと思います。
そして、何より、自分の心の声を無視しないこと。
私は、我慢することが癖になっていて、心身を壊してからやっと気づかされました。
もちろん、人とのかかわりで学ぶことはたくさんありました。
でも、自分を犠牲にしてまで頑張る必要はありません。
辛い時は、相談したり、離れることを選択してもよいのです。
今では、板挟みになったら、立ち止まって自分と向き合うチャンスだと思っています。
あなたがあなたらしくいられる道を、大切にしてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。