看護師のブランク13年、40代で復職体験、子ども3人

結婚を機に退職して 転勤族で引っ越しや子育てで復職の機会がないまま あっという間に13年経過 末っ子が小学1年の時 復職を決意し行動してみた

113年のブランクがあっても復職したい
2復職するまでの自分なりの準備
3仕事の選択
4働き始めて見えたこと
5家族のケガや体調を壊した経験
6振り返ってみての気づき 過去の自分にアドバイス 現在の状況


1,13年のブランクがあっても復職したい

復職までの道のり

転勤族・子供3人・フォローしてくれる家族は夫だけ
(帰宅時間も遅く家事と子育てはほぼ私の担当) 
とにかく夫は帰宅が22時以降で忙しい

子育ては主に私の役割 転勤も2~3年毎
慣れた環境になったら引っ越しになる
仕事の現場は一人目の妊婦の時10カ月まで夜勤もこなしたのが最後


家事・育児・ママ友の付き合いをこなし 子供のことを考えママ友とできる限りお付き合いを行う
仕事の復帰を考えても子供を預けてまで働ける?
子育てのフォローがないままでの仕事はかなり困難では?
と考えて時間ばかりが過ぎた

そのうち二人目三人目の妊娠と子育て・・・

そろそろ仕事をと探して面接を受けるも、また転勤が続き就職できないまま13年が過ぎてしまった
いい加減 社会から長期間離れていると私だってそろそろ働きたいな~

しかし、子供が小さいとなかなか仕事の条件が厳しい
(始業時間が8時30分が大多数)
幼稚園の時は無理だと判断した


なんといっても40代の私は3番目の子供の親としても他のママより年上だった 
そして 看護師のブランクが長期すぎる焦りもあった


2,復職するまでの自分なりの準備


不安しかないのでネットで情報収集、ナースセンターに「復職支援研修」申込


ナースセンターでは、当時はeラーニングという看護の問題集をパソコンで勉強できた


看護技術や注射採血・検査などの本を購入し、再勉強


復職支援研修を行っている病院に3日間ほど通い講義が主体だった
他の研修希望者4人と参加した 
素敵な看護部長さんと講習を担当してくれた看護師さん
とても楽しい研修と経験した


採血などの受講生同士の実技指導をうける。病院の中の見学もさせてもらう


看護師の国家試験の問題集もやってみた(これは今思えば必要ないかも)


3,仕事の選択と迷い

ナースセンターで仕事を紹介してもらう 外来の募集もあった
とにかく看護技術(特に採血点滴)においては自信がない(一人で仕事に対応できるか不安で仕方がない)

結局、自転車で通勤できる総合病院のリハビリ病棟に就職(週5日午前中パート)
当時の私は仕事を始めれば何とかなると安易に考えていた


4働き始めて見えたこと


仕事を始めて 数日は職場の案内から始まった
その後 数日で部屋担当となる
患者さんの把握、スタッフの名前、物品場所を名札をみながらなんとか覚えた  

30代と比べてみるとかなり記憶力が悪い
また体力がかなり落ちている病棟の廊下は200メートルほどあり 何度も歩く 半日の勤務なら何とかついていけた

入浴介助も全介助 半介助 部分介助と分かれている

全介助の機械浴は 看護師一人と介護士一人がペアとなってストレッチャーで移動入浴を(二組で)13人から20人ほどを週3回行っていた

主にパートの仕事となる機械浴担当になると半日入浴だけで業務が終わる
褥瘡の観察や処置も含まれる


薬や注射などの確認が2人での2重チェックが必要となっていた 
リハビリ病棟は採血や点滴がかなり少ない(採血や点滴の技術の向上が難しい)
胃婁のケア食事介助と内服介助たまに気切があると吸引 リハビリ病棟はとにかく移動が多い ベッドから車いすのトランス


詰所の隣と個室に末期患者さんもいた 癌末期や老衰など

他は患者さんの入れ替わりも早く、2~3カ月で退院もざら


まずは慣れるまで毎日早めに出勤して情報収集、業務の流れを覚える

わからないことは、他のパートスタッフや正社員に聞く


週に3回全介助の入浴・部屋の担当によっては普通の風呂の介助 股関節の人口古都土菅術後の患者さんも多く 入浴時に気を付ける
とにかく体力が必要でたまに胃婁の増設の介助や胃管や尿管の交換など

病院のメリットは、病児保育があったり、夏休み子供を預かってもらえたり

研修があるのはありがたかった

デメリットは、人が辞める事(やはり今も昔もですね)
主任や看護師長の年齢が自分と近い先輩ナースがかなり若い(30代前半)

男性看護師が3人ほど勤務

5,家族のケガや体調を崩した経験

子供が小学1年と5年だったので、同じ学童に入れる為NPO法人の学童保育を選んだ


小5小6と子供が2年連続骨折 一回は入院して手術になり病院を休んで迷惑をかける

学校のPTAの役員を断り切れず 休みは学校行事やPTAの集まりですべて消費される。NPOの学童保育も役員の仕事があった


役員の為の勤務希望が多くなり 師長に苦情を言われる

病棟の退職者が多く、夜勤のある正社員を勧められた


半年後に正社員になって学行が休みになる土曜に2交代勤務を始めた。(過去に経験したのは3交代のみで2交代は初めてであった)


夜勤を始める時2回ほど先輩ナースが一緒に勤務をしてくれたので心強かった
2交代は16時間勤務の中で、3人のスタッフで2時間の休憩を交代で取る

正社員になって半年を過ぎたころ、頚椎ヘルニアを発症して特に左上肢の方から指先までの痺れを伴う疼痛があった 

初期は鎮痛剤の(リリカカプセル)のお世話になった 
痛みは緩和されたが 整形の医師にリリカは飲み続けないよう勧められた その後はロキソニンで対応した

退職を申し出ると 看護部長の勧めで一か月自宅療養でがお休みをもらった


心身共に疲弊していた為退職を決意 
その1年後転勤で他の県へ移動

6,振り返ってみての気づきや過去の自分へのアドバイス。現在の状況

何もかも若いころの自分と思っていたら大間違い 体力や記憶力の低下に対する配慮や準備が必要であった

子供を育てながらの 役員の負担はかなり大きかった


子育てと家事・仕事のバランスが意外と重要だと思った

子供が体調不良や病気の時のフォロー先の確保が仕事を続けられる条件となると感じた


今思えば 自分にとっての続けられる条件をもっと考えるべき 

自分がどういう働き方をすれば続けられるか 就活の時に自分の譲れない条件をしっかりと把握すればもっと続けられたかもしれない

家族である夫の就職の理解は得られたが 家事や子育ての負担は全く専業主婦の時と同等でした

その時の私は 何とかなるだろうとまるで自分の年齢や負担を考えて行動していませんでした


もっと家事負担だけでも 夫に仕事をする前に協力を得られるように努力すべきであった

仕事の経験上と自身の安心のため 今までと同じ病棟を選んでいた
その結果 高齢化のため思った以上に介護度がかなり高くなっており 13年前に比べて現場の負担が大きい 
内服介助の1つであっても患者全体の8割の介助をしなければならない

毎日の看護記録の他看護計画やサマリーなどの業務もある さらに患者さんの退院までのリハビリカンファレンスの参加 病棟でのかかりの仕事など 残業が増えた


定時で終わる仕事やもっと体に負担のない仕事を選ぶべきであった

過去の反省点もろもろ

PTAもやる人が居ない理由で引き受けたが 正社員になる私にとってはかなりの負担であった。

自分の体力を過信しすぎて子供の事情やトラブルのことなど、リスク回避考慮が不十分だった。

慎重に自分の出来る仕事を見極めることが大切 
単発の仕事やデイサービス老人ホーム 思い切って外来などを考えてみてもよかったのではと今更思う

病棟退職後の仕事

その後引っ越し先で子供たちが落ち着いてから 外来の週2~3回パート勤務から開始 


現在週5日のパート勤務を続けている 今は分け合って週32時間勤務している


外来のメリットは、日曜祝日とお盆や正月休みがあることと夜勤がないことです
逆にデメリットは人間関係が濃厚になることですね

私のように、仕事をしたいという思いだけで無謀に挑戦することも一つの方法ですが(やらかしてみた経験)


( ´∀` )、もちろんそこには焦りもありました


過去の私に言いたい よくよく考えて 無理のない仕事からはじめてみたらよかったよね

なぜなら昔も今も人手不足が現状なので 「夜勤やって」 「勤務増やして」と希望されるのは一目瞭然です

体を壊してから特に感じたことは 一度壊したら回復まで時間がかかりました(約1年) 

特に 家族やまたPTAであっても無理をしないことだと 昔の自分にアドバイスをしたいと思います


また 子供は母親が忙しくなるとなぜだか怪我や体調を崩しがちになります

やはり 忙しい母親に遠慮や我慢があるのかもしれません


過去の私はやるべきことに必死でそんなに周りを見渡す余裕すらありませんでした

おすすめの記事