看護師のブランク13年、40代で復職体験、子ども3人

2024年1月27日⇄2024年10月16日

結婚を機に退職 転勤族で引っ越しや子育てで復職の機会がないまま あっという間に13年経過。

しかし、末っ子が小学1年の時 復職を決意する。

実際復職してみて、仕事を続けるには家族の協力が重要と気づきます。

子育てと仕事の両立に悩んだ当時を振りかえります。

そんな経験から、復職する時に、注意してほしい点をお伝えします。

ブランクあっても復活は可能だが注意点も?

113年のブランクがあっても復職したい
2復職するまでの自分なりの準備
3仕事の選択
4働き始めて見えたこと
5家族のケガや体調を壊した経験
6振り返ってみての気づき 過去の自分にアドバイス


1 13年のブランクがあっても復職したい

復職まで

パート勤務を考えたが、子供が小さいとなかなか仕事の条件が厳しい.
幼稚園の時は無理だと判断していた。

転勤族・子供3人・フォローしてくれる家族は夫だけ?
(帰宅時間も遅く家事と子育てはほぼ私の担当) 

とにかく夫は帰宅が22時以降で忙しい

子育ては主に私の役割 転勤も2~3年毎

保育園に預けて働く?子育てのフォローがないのに仕事をできる?とかなり悩み、時間ばかり過ぎた。

そのうち二人目三人目の妊娠と子育て・・・

そろそろ仕事をと探して面接を受けるも、また転勤が続き就職できないまま時間だけが過ぎる。


いい加減 社会から長期間離れていると「私だってそろそろ働きたい」と早く子供の成長してほしいと願った。


その時、看護師のブランクが長期すぎる焦りもかなりあった。


2 復職するまでの自分なりの準備


不安しかないのでネットで情報収集、ナースセンターに「復職支援研修」申込


ナースセンターでは、当時は看護向けの「eラーニング」という学習システムを使用してパソコンで勉強できた。


看護技術や注射採血・検査などの本を購入し、再勉強

看護協会に入会し、自分が学びたい研修を受講。

協会から、復職支援研修を申し込んだ。


「復職支援研修」を行っている病院に3日間ほど通い講義が主体だった。


他の研修希望者4人と参加
素敵な看護部長さんと講習を担当してくれた看護師さん
とても楽しい研修と経験をした


採血などの受講生同士の実技指導をうける。病院の中の見学もさせてもらう


看護師の国家試験の問題集もやってみた(これは今思えば必要ないかも)


3 仕事の選択と迷い

ナースセンター(e-ナース)で仕事を紹介してもらう 皮膚科外来と病棟の募集の2件が目にとまった

他の候補は、通勤が必要な、復職支援の研修を受けた病棟だった。そちらの方が病院の内情も分かりそちらを選びたかった。

しかし、通勤で子どもたちが、小中学生なので、場所が近隣と決めていた。


とにかく看護技術(特に採血点滴)においては自信がない(一人で仕事に対応できるか不安で仕方がない)

結局、自転車で通勤できる総合病院のリハビリ病棟に就職(週5日午前中パート)
当時の私は仕事を始めれば何とかなると安易に考えていた

残念なことに、eナースは、職場の提案だけで特に細かい相談をできる環境ではなかった。

・選択肢が少ない事

・相談できる人が居ない

*他の転職サイトにも登録して検討した方が良かったかもしれない。


4 働き始めて現場の状況、メリットとデメリット


仕事を始めて 数日は職場の案内から始まった
その後 数日で部屋担当となる


患者さんの把握、スタッフの名前、物品場所を名札をみながらなんとか覚えた  

30代と比べてみるとかなり記憶力が悪い


また体力がかなり落ちている病棟の廊下は200メートルほどあり 何度も歩く 半日の勤務なら何とかついていけた。

[リハビリ病棟の業務内容]

・入浴介助も全介助 半介助 部分介助と分かれている

・全介助の機械浴は 看護師一人と介護士一人がペアとなってストレッチャーで移動入浴

(二組で)13人から20人ほどを週3回行っていた。
褥瘡の観察や処置も含まれる

・その他自分の担当部屋患者さんの、普通のお風呂の入浴介助(足の手術人工骨頭置換術後や脳梗塞で麻痺がある場合、看護師の見守り援助が必要。)


*薬や注射などの確認が2人での2重チェックが必要となっていた 


*リハビリ病棟は採血や点滴がかなり少ない(採血や点滴の技術の向上が難しい)


・胃婁(流動食の栄養)のケアと食事介助と内服介助

・時々胃婁増設の処置の介助に当たることもあった。

・気気管切開があると吸引 

*リハビリ病棟はとにかく移動が多い ベッドから車いすのトランス(移動介助)

これまでの内科病棟と比較すると、トランス(移動介助)が多い分、体力的な負担もある

しかし、午前中勤務であれば対応できた。


詰所の隣と個室に末期患者さんもいた (癌末期や老衰など)

他は患者さんの入れ替わりも早く、2~3カ月で退院も頻回


まずは慣れるまで毎日早めに出勤して情報収集、業務の流れを覚える。

わからないことは、他のパートスタッフや正社員に聞く。

病院のメリットは、病児保育があったり、夏休み子供を預かってもらえたり

研修があるのは本当にありがたかった

・デメリットは、人が辞める事(やはり今も昔もですね)
主任や看護師長の年齢が自分と近い、先輩ナースがかなり若い(30代前半)

男性看護師が3人ほど勤務

5 家族のケガや体調を崩した経験

子供が小学1年と5年だったので、同じ学童に入れる為NPO法人の学童保育を選んだ


小5小6と子供が2年連続骨折 一回は入院して手術になり病院を休んで迷惑をかける

学校のPTAの役員を断り切れず 休みは学校行事やPTAの集まりですべて消費される。NPOの学童保育も役員の仕事があった


役員の為の勤務希望がかなり多くなった。

病棟の退職者が多く、夜勤のある正社員を勧められた


半年後に正社員になって学行が休みになる土曜に2交代勤務を始めた。(過去に経験したのは3交代のみで2交代は初めてであった)


夜勤を始める時2回ほど先輩ナースが一緒に勤務をしてくれたので心強かった。


2交代は16時間勤務の中で、3人のスタッフで2時間の休憩を交代で取る。

正社員になって半年を過ぎたころ、頚椎ヘルニアを発症して特に左上肢の方から指先までの痺れを伴う疼痛があった。 

初期は痺れにも有効な鎮痛剤のお世話になった 
痛みは緩和されたが 整形の医師に強い鎮痛剤はは飲み続けないよう勧められた 

その後は、整形で処方される一般的な鎮痛剤で対応した

退職を申し出ると 看護部長の勧めで一か月自宅療養でがお休みをもらった


心身共に疲弊していた為退職を決意 
その1年後転勤で他の県へ移動

6 振り返ってみての気づき、過去の自分へのアドバイス。現在の状況

仕事も学校の役員も若いころの自分のように安請け合いするのは危険だった。

体力や記憶力の低下に対する配慮や自分ができる量・範囲を考え引き受ける必要がある。

結果として、子供を育てながらの正社員の仕事と学校の役員は体を休める暇がなく負担が大きかった


子育てと家事・仕事のバランスが重要だと思った

なぜなら、子供が体調不良や病気の時に対応することが必要になる。

そのフォロー先の確保が仕事を続けられる条件となると感じた

就活の時に自分の譲れない条件をしっかりと把握すればもっと続けられたかもしれない

家族である夫の就職の理解は得られたが 家事や子育ての負担は全く専業主婦の時と同等でした

その時の私は 何とかなるだろうと自分の年齢や負担を考えて行動していませんでした


家事負担だけでも 夫に仕事をする前に協力を得られるように努力すべきであった


ブランクが不安で、病棟を選んだが、 高齢化のため思った以上に介護度がかなり高くなっていた。

13年前に比べて現場の介護の部分の負担が大きいと感じた。


内服介助の1つであっても患者全体の8割の介助をしなければならない状態。

毎日の看護記録の他看護計画やサマリーなどの業務もある 

さらに患者さんの退院までのリハビリカンファレンスの参加 

病棟で係の仕事(物品管理)など 残業が増えた。

想定以上にリハビリ病棟は多忙な状況だった。

しかし、病棟勤務のメリットもある

院内保育(病児保育)があって、小学生でも、夏休みなど利用できたこと

様々な研修を受講できたことだった。人形を使っての心肺蘇生術、CVポート(皮下埋め込み型中心静脈アクセスポート)など。

また、日本脳炎やB型ワクチン接種なども施行してもらえた。

一番の強みは、たくさんスタッフがいるので、何かあれば質問したりできる事だった。

私のようにブランクが長い看護師にとってかなり心強い。

過去の反省点もろもろ

PTAもやる人が居ない理由で引き受けたが 正社員になる私にとってはかなりの負担であった。

安請け合いせずに、事情を話してやんわりお断りしても良かったと今では強く思う。

自分の体力を過信しすぎて子供の事情やトラブルのことなど、リスク回避考慮が不十分だった。

慎重に自分の出来る範囲内の仕事を見極めることが大切 


単発の仕事やデイサービス老人ホーム 思い切って外来などを考えてみてもよかったのではと後に思う。

病棟退職後の仕事

その後引っ越し先で子供たちが落ち着いてから 外来の週2~3回パート勤務から開始。


数年後、週5日のパートクリニックの事情て週32時間勤務。


・外来のメリットは、日曜祝日とお盆や正月休みがあることと夜勤がない


・逆にデメリットは人間関係が濃厚になること?

そんな、外来も、年月が過ぎて退職した(今までで一番長い勤務年数だった)


過去の私に言いたい よくよく考えて 無理のない仕事から ・・・

なぜなら昔も今も人手不足が現状なので 「夜勤やって」 「勤務増やして」と希望されるのは一目瞭然です。

体を壊してから特に感じたことは 一度壊したら回復まで時間がかかる事(約1年) 

特に 家族やまたPTAであっても無理をせず、続けられる方法を考える。


また 子供は母親が忙しくなるとなぜだか怪我や体調を崩しがちになることが多い。

やはり 忙しい母親に遠慮や我慢があるのかも?しれません。


過去の私はやるべきことに必死でそんなに周りを見渡す余裕がなかったと反省。

仕事・家事・育児の両立は大変ですが、時の流れと共に、医療の環境も変わってきている。

「こんな薬ができている!昔なかったのに」(特に褥瘡治療の薬品やインスリンの薬効時間や種類)とか

医療廃棄物のごみのマークができていたり(バイオハザードのマーク)、

電子カルテがほぼ導入していたり、いろんな変化を体験出来た

しかしながら、看護の世界は、マンパワーがたくさん必要であって・・・

私も非力ながら、今後もできる範囲内で、医療現場に少しお手伝いできたらと考えている。

これからは、これだけは譲れない条件を考えてから、仕事選びを慎重にしていきたい。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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