【自分を】貶す・責める・批判する、なぜ?親からの伝播?どんな影響が?

こんにちは、とびおば管理人です。

最近子供の一人が、何か自分が小さなことを失敗すると

「なんでできないんだ~もう!」と繰り返し自分に向かって怒って責めます。

その理由は、忘れ物や鍵を無くしたなど。

この様に、小さなことでも怒ることが増えて、余裕はなくセカセカ・イライラ。

問題は、その行動が何処から来て、今後どう影響するのかです。

思い返すと、一人目の子供が小さなころに自分が余裕なく接していた覚えがありました。

私が母から無意識にマイナス面を受け継いだように、私も子供にマイナス思考を植え付けたかもしれません。

何か自分にできる事はないか?

しかし、子供をコントロールは出来ません。

できる事は自分の考え方や接し方を変えるのみ。

今回は、子供を見て気づき、自分を内観する。

自責・自己否定が及ぼす今後の影響は?を考えます。

貶す・責める・批判は、自他に悪影響を与える

言霊というのは、とても大切なものだと思います。悪い言葉を聞いていれば、心身に影響を及ぼしかねません。

例えば、 TVでは楽しかったり、ほっこりするものなら元気になりますが、悲しいニュースや目を避けたくなる映像を見続けるとどうでしょうか?

悲しかったり不安になったりしますね。心は沈んでしまします。

そのように見聞きするものに、私は影響を受けています。

それは自分が発する言葉も同じです。

ずっと貶され批判され、元気が出るでしょうか?

しかも、自分に対してすることは、無意識に人に対して同じようにする可能性があります。

失敗した大切な親友に同じ言葉をかけるでしょうか?

友達なら、「そんなこともあるよ、大丈夫だよ」と励ますのではないでしょうか。

自分に対しても、そういう風に接してもいいと考えます。優しく寄り添うべきです。

自分を責め続けるとどうなる?

自分を貶す・責める・批判するを続けるとどう今後に影響するのか?

・自己肯定感のさらなる低下

・不安とマイナス思考の増加

・ストレスの増加で体にも影響

・自分の批判から逃げる為に買い物の増加や過食など

・自己批判を重ねる毎に習慣化

という、可能性が考えられます。

自分を否定する癖が強くなれば、他人に対してもマイナスな面ばかり目につきます。

また、不安や劣等感から他人とのかかわりが辛くなるかもしれません。

しかし、逆に、自分を受容できるようになれば、他者の出来ない部分も肯定もできるようになるかもしれません。

気持ちにゆとりができれば人間関係にも良い影響を与えます。

怒りと自己否定の原因

これまでのように買い物や遊びに行けないストレスとから、怒りと自己否定が表れているかもしれません。

自責の原因

・ストレスの増加

・もともとある自己肯定感の増加

・完全主義

・今までの否定的な自己批判トークの習慣化

対策

・買い物以外でストレスを発散する

・自分の良い面に目を向ける

・ダメな自分を受け入れ認める

・誰かに相談する

今まで、経済的危機が訪れるまで、好きなものを買い、好きな時に映画スイーツを食べ、過ごしてきました。

しかし、その状況は現実的に破綻して終焉を迎えました。

現実には、子供がアルバイトしたお金は、必要なものの支払いに回さなければなりません。

もう、以前のように、買い物により、満たしていた脳のドーパミンは与えられないのです。

しかし、最近グッズを購入していました。

他に支払いがあるにもかかわらずにです。

買い物する事で脳の報酬を得る行為の常習化の為とも考えられます。

すぐに、支払われていない健康保険料の請求用紙が届きます。

支払うべきものを期限前に払うという事を、守らず後回しにしています。

本人からすれば、「遊べなくなったから」と言います。

自分の過去の行動を反省して行動している所は多少あるが、親から見ると不十分と感じる。

しかし、子どもをコントロールすることは困難、出来ている所を認め、信じるという気持ちは大切。

信頼と疑いの拮抗する気持ちを複雑に味わっています。

繰り返し、支払うべきものから先に支払う説明をし様子を見ます。

また、部屋の片付けもなかなか進まず、特に、売ると決めたものをなかなか売りません。

廊下にいろんな雑貨が溢れて、子供の部屋だけでなく、押し入れもグッズが占領しています。

本人に確認すると、「買い取られないグッズの返品に送料がかかる」という理由。

ただ荷物が部屋を占領していると感じます。

また、本人が買い物依存という自覚もないです。

ただ、自分の好きなことにお金を使えないことにストレスを感じています。

この自覚のない買い物依存に対処するには、カウンセリングなどのサポートが必要かもしれません。

自分の行動に気づき、そのままを受け止める

私自身は良く何か良くないことがあると、自分に責任があると感じていました。

今では異常な責任感だったと感じます。

大切なのは、自分をあるがままに受け止める事でした。

出来ない自分をダメな自分を受け止める。それも自分だと。

そして、そこで批判や評価をせず、そんなこともあると完璧な人間じゃないと認めます。

自他を責めても何も解決しないことに気づくべきだったと感じています。

本人にとっては、失敗がすべて100%のように感じるかもしれません。

しかし、物事には失敗からしか学べないこともあれば、失敗したからこそ、その後最大限に注意して進歩することもあります。

その場では失敗にばかり注目していますが、もしかすると、出来ている部分もあったかもしれません。

必死になればなるほど視野が狭くなり、物事の一部分にしか注目しないものだと私は考えます。

まとめ・考察

子供の行動を見て、自分を垣間見る。

なぜなら、子供も自分も、自分受容していない。(あるがままの自分のダメな部分も受け入れていない)

その点が共通する親から子への伝播している部分だと感じた。

子供が、自分から反省し、親が望む大人になってほしいと思うのは、ただの親のエゴかもしれない。

子供の特性を知り、子供の資質の活かし方を本人と一緒に構築していくのが本来の親の役割ではないだろうか?

親も未熟で子供に向き合えなかったり、子供に寄り添えなかったりすることもある。不完全な人間だ

親自身が完璧でなかったとしても、子供に寄り添う事や子供を信じるという事はできるのではないだろうか。

ダメな自分を認めれば子供のダメな部分も認められるかもしれない。

一番大事なことは、子供を見て自分の内面を変えていくことかもしれない。

なぜそう思うかというと、家族は特に自分の写し鏡であると自覚しているからだ。

特に両親の影響はかなりある。

例え親からの業の伝播があったとしても、自分の代でそれを終らせる努力は必要だ。

なぜなら、子供に楽しい人生を送ってほしいと願う。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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