幼い頃から親から愛情の不足を感じていた私?、それは事実だろうか?

こんにちは、とびおば管理人です。

最近も、過去の出来事を思い返して、自分の思い癖をたどっています。

私は、両親・親族から育ててもらい、今現在があります。

しかし、感謝と同時に何らかの不足感も感じていました。

今まで「もっとこうしてくれたらよかったのに}という不足感

それは愛情不足だったのでしょうか。

あなたには、育ててもらった人に何らかの不足感を感じますか?

特に幼児期からの養育者とのかかわりは、成人してからも人間関係に影響しているように感じています。

今回は、私自身の親との関係の振り返りをしてみたいと思います。

ちなみに、私の場合は、両親と祖父母・義理の両親がいますので、両親からの振り返りをします。

両親と祖父母と義両親の関係と自分が感じた愛情不足感?

幼少期は、安心安全で身近な人との信頼感を持つ時期です。

私が幼児のころから、母親は家業の田畑や他の仕事があり、兼業農家で大忙し。

主に祖母(祖父)が私の面倒を見てくれました。

特に祖母が、私を膝の上に乗せて上下する遊びをしてかまってくれたり、一緒に寝起きし、毎朝太陽に向かって感謝して拝む姿を今でもはっきりと記憶しています。

母は週末仕事の疲れでぐったりとしていた印象があります。

父は、農家の仕事と泊りがけの仕事があることも多く、帰ってきた時に父の膝の上に乗るのが嬉しかった記憶があります。

しかし、その反面、叔父の時々怒った様子で自宅に来ることや祖母が時々怒るとどちらも子供心に安心できない様子になりました。

この幼児期から中学生まで、人が怒って他の人に感情をぶつけたり、苦情を言葉で独り言を言うことを何度も見ていました。

きっとその時は、人の怒りに対する不安感があったのではないかと考えます。

確かに、これまで無事に生きてこれたのは、両親や家族の存在のお陰です。

両親が共働きして、祖父母が育て、衣食住を保護をしてくれたので今の私があります。

これは当たり前ではない事です。世の中には、何らかの理由があって、育てられない親もいるものです。

これについては、自分が子育て(子供3人)して改めて実感する事ですね。

それから、中学3年に祖母が他界しました。

今まで、祖母が、叔父の酔って夜自宅に訪問してくる対応していました。

父が不在の時に叔父の夜間の酔ってからの訪問には、不安を感じるようになりました。

なぜなら、起こって大声で怒鳴りながら、夜間やってくるからです。

母が父にそのことで話をして話が決裂し、それをきっかけに母と一緒に叔母夫婦の所に行くことになりました。

そのまま、別居状態になり、私は叔母の養子になりました。

本当は、叔母にお世話になるのではなく、母と一緒に生活できたらと思っていましたが。

しかし、母は、叔母夫婦を頼りました。また、叔母も母が連絡すると、来るように助言していました。

今となっては、父の気持ちを考えると複雑です。

父は、自分の娘が養女になることを悲しんだと今では想像します。

叔母夫婦は衣食住と学費も出してもらい、大変よくしてもらいました。

高校生になってから、突然前触れもなく、叔父が怒りだして3時間以上の説教を繰り返すようになります。

具体的にどうゆう理由でとか、だから改善しようという話ではなく。(記憶を心が消してしまっているのかもしれません)

私の行動のダメなところや~すべき所や批判的な言葉が多かった印象。

話始めると叔父が気持ちが済むまで話を聞かなければ終了しなかったことは記憶しています。

怒りと批判を感じて、心が圧迫される気持ちで、その時間を過ごします。それが、高校卒業するまで続きました。

完全に自己肯定感が低い状況だったようです。また、不安もありました。

まとめ・考察

子供の時から大人になるまで、沢山の人に育てられお世話をしてもらい学校にも行かせてもらって今の自分があります。

感謝することは数え切れないほどあります。

しかし、一方で、不安や自己否定感というものを持っていました。

男の人は傷つけるものだと勝手にゆがんだ認知を作っていたのかもしれません。

特に人の怒りの感情に触れるたびに、どう対処していいか分からないまま幼少期から大人になりました。

これまで、大きな声で怒っている人に遭遇すると、自分がフリーズして、どう対応したらいいか良く一瞬プチパニックになっていました。

特に30~60代の怒る男性に苦手意識を持っていました。

しかし、今では、自分も年を重ねているので、いつまでもパニックになっているのも問題です。

怒っている人は、今はそんな状況だと怒らせたままに見守っていればいいのです。

ましてや、怒っている人の気持ちをどうにかしようなどと人の感情をコントロールすることはできません。

これは、当事者の問題であって100%自分の責任ではないのです。

大人になって思うのは、大人も完全じゃない部分があるのが当然です。

また、両親・祖父母・叔母夫婦に愛情は十分かけてもらったと感じている。

自分と同じく人間としてまだ未完成の部分があり、自分の感情をどう表現していいか分からないまま感情をぶつけていただけだった?

その未完の部分は、私自身も考えなければいけない部分だという事。つまり私にとっても課題なのだと考えます

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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