生まれてきてくれてありがとう、感謝する出来事

今年も、20代の子供が無事誕生日を迎えられました。

「お誕生日おめでとう」という言葉では足りない。

「生かしてもらってありがとうございます」と神様に言いたいです。

今日のこの日は、子供が生後3日目で手術した記念日です。

その日を思い出して、今年も新たに気を引き締める為に

当時の出来事や気持ちをシェアします。

妊娠中は問題なく経過して、予定日に無事出産、何だか呼吸が早く指先が冷たい?

妊娠中に、お腹のエコーを4回ほど行いました。

出産まで、子供には異常はありませんでした。

でも、少しだけ、妊娠中に感情が落ち込むことがあった程度です

予定日に出産して、生まれて2時間半後、初乳を与える時の事でした。

「あれ!なんだか、呼吸が速いぞ?

鼻翼呼吸?(努力性の呼吸)

指先も冷たい、

母乳や糖水を飲ませると、ムセ易く、すぐに泣く?」

と疑問を感じました。

助産師さんの説明では

「羊水を飲み込んだりすると、こんな症状が出ます。

時間が経てば改善することが多いです」

との説明があったので、安堵して様子を見ることに。

しかし、翌朝、先生からの説明があると呼ばれた。

「酸素を与えないと、酸素の値が下がってしまいます。

呼吸数は120回/分(正常は30~60回/分)

都立病院に転院しましょう」

との説明あって、すでに救急車を手配されていた。

子供は、赤ちゃん用の小さな透明な簡易保育器らしきものに乗せられて、運ばれていった。

子供と目が合って、

「がんばれ!」と心の中で声をかけました。

転院して、検査後病名判明、大学病院で手術

その後、都立病院でレントゲンを撮り、診断。

病名は、『左の先天性横隔膜ヘルニア』だった。

(横隔膜に穴や弱い部分があることで臓器の一部が胸部に飛び出してしまう先天異常。)

そのまま、都内の大学病院に転院。

夫は、1日に2回救急車に乗ることとなった。

私は、子供の名前候補を用意していた。、

無事生まれたら、顔を見てから名前を決めようと考えていた。

しかし、状況が変わって、今まで考えていた名前の候補はすべて白紙に戻す。

名前辞典の本を隅々読んで調べて

強い名前を急いで考える。病気に負けないで欲しい。

いろいろな不安が襲ってきても、今はこんなことしかできない。

その時選んだ漢字は、「数限りなく切り開く」生まれたばかりの困難に立ち向かう為の、エールだ。

病気に負けず生き続けて欲しいという気持ちで、漢字を選んだ。

そして、名前を決めたら、すぐに夫に市役所に書類を出してもらった。

その後、個室に自分一人で、病室にいても何もすることがない。

当時、元ちとせさんの「ワダツミの木」のCDを持参していた。

何度も聞いても涙しか出ない。1日泣き続けた記憶があります。

ましてや、子供がどういう状態か夫から聞くだけで、心配は尽きない状態だった。

なぜ自分の子供がこんなことになるのだろうと、半ば恨み節に近い記憶もかすかにあります。

受け止めるまでに時間が必要でした。

そして、受け止めた後、子供の手術予定日に、早く退院しました。

手術当日に、大学病院の小児外科医局長に説明を受ける。

「生存率は50%、手術を受けても、合併症が起こる可能性はある。3~4カ月間は入院になるでしょう。」

と手書きの図を描いて丁寧に病気の説明してくれた。

本人に面会に行くと、想像以上の完全装備だった。

鼻には胃管チューブ、口は気管チューブで呼吸管理、手足4本は、動脈や静脈のルートが取ってあり、モニタリングしていた。

また、呼吸管理しているので、鎮静剤で眠っている。

大人の患者さんでは同じような状態を見たことがあったものの

子供のしかも、わが子の状態を見ると軽いショックを受ける。

一般人ならば、一層衝撃を受けるだろう

手術は、主治医を始め、医局長・女医の先生・担当医・心臓外科の先生も入って合計5人の医師が協力して無事終了した。

<術後の状況説明>

「横隔膜に3cmの穿孔(穴)がありました。糸で縫合しています。」

「胸腔内に、大腸半分と小腸全部、脾臓が入っていた。

左の肺は未熟な様子だった。」

「今後の合併症は、肺高血圧症・出血・イレウスなどを起こす可能性がある。」

と医局長先生から説明があった。

*肺高血圧症…肺動脈の圧が高くなり、心臓から肺の血液循環が

 悪くなり全身の酸素が不足して、息切れ・呼吸困難が起きる

*イレウス…腸閉塞とは様々な原因によって腸の内容物が肛門の

 法に流れなくなる

無事手術は終わり、合併症が起こらないことを祈るばかりだった。

看護師である自分は、何もできない無力感に襲われる。

何より、家に帰ってから、夜になると心が暗くなる。

私の今までの行動が悪かったからこんなことになったのか?

と自分を責めるばかりであった。

若いころ、検査や手術の現場で働いたが

鉛の防護服は着用していたが、一般人より放射線を浴びたのではないか?

病棟で抗がん剤を沢山準備することがあって

当時は素手で準備が当然だったので、薬が時々手に触れることが多々あった。

なぜだか、過去の自分の行い・看護師の仕事のせいにしてしまう。

そういうマイナス思考ばかりが、ぐるぐる浮かんで考えてしまう状態だった。

しかし、逆に絶対に助かる。と信じたい気持ちも湧き上がる。

もしも、あなたが、お子さんの事を心配していても、決して自分を責めないで欲しい。

そして、悪い方向に考えてしまうのは人間の特性で、物事は決して自分が考えた通りにはならない。

何事も、マイナスに考えがちなのが人間なのです。

最も、お母さんが元気を失うと子供にも悪影響を及ぼすと感じます。

手術後の経過、退院まで

手術後、面会時間が決まっていて集中治療室に通うようになった。

毎日、電車で面会に通う日々が続いた。

術後は一時発熱があったものの、解熱し、呼吸の状態は安定していた。

術後2日目に鎮静剤を中止して、時々目覚めて、口や指を動かす。

左肺も少しは膨らみ、呼吸の設定を変える。

術後4日目には、呼吸器が外れて酸素テント(酸素40%)を使用

呼吸回数80回/分で自力で必死に呼吸しています。

頑張っている子供の姿を見ると泣けてきました。

子供が頑張ってるから、母親の私もしっかりしなきゃ!

そんな時に、看護師さんが、夜間の様子を教えてくれた。

「夜はよく泣くことが多いですが、呼吸が上手でしたよ」と声をかけてくた。

泣き声も、少しずつ力強くなっていきました。

緊急手術になって、赤ちゃん専門の集中治療室が満床。

大人の集中治療室のICUの看護師さんがお世話してくれている。

子供に、オルゴールが付きの小さなクッションを保育器に入れたいという要望に応じてもらえた。

本当に親切にしていただいた。

その後、一つずつ体に入った管が外され

術後10日目には、ミルクを2倍に薄めたものを10cc飲むようになった。

抱っこすることが出来るようになったことが、何よりうれしい。

毎日搾乳して冷凍して、張り切って面会に行く日が続きました。

母乳やミルクの量も日々一回量を数ccずつ増えて

術後17日で、直接母乳を飲めるように

点滴もなくなりました。

術後18日日目にはレントゲンで左肺が50%は膨らんでいるとの説明。

最終的に、術後21日目に、貧血はあるものの

沐浴練習と貧血のシロップの内服練習をやって

退院の運びとなりました。

手術後に、可能性のある合併症は起こりませんでした。

しかし、手術した傷口がMRSA(耐性黄色ブドウ球菌)に感染して、一部化膿してなかなか完治するまで時間がかかりました。

退院後から、その後成長するまで

その後も通院を続け、肺の成長を見届けるまで、15年かかりました。

転勤もあって、紹介状を書いてもらいながら、市民病院や大学病院に通院しました。

大きくなると半年に一度の経過観察する定期受診になりました。

その後、15歳の時に、肺活量と肺シンチグラフィ(肺の血流や換気を評価する検査)を行い。

肺活量も問題なく、肺が80%ほど膨らんでいるとの結果でした。

中学生の時に、手術した傷跡が成長と共に段差が出て

見た目が悪い状態でした。

その時医師は、形成外科で手術して、傷を補正することを進められましたが、本人が断固拒否してそのままになっています。

それを最後に定期受診は終了しました

また、多少の漏斗胸(ろうときょう)胸板のへこみと脊柱の多少の歪みはありますが、特に日常生活には支障ありません。

まとめ

当時を振り返ると、病気のことをネットで調べて、かなり落ち込みました。

何故かというと、例え手術をしても、もともとの肺の低成長があれば、圧迫された未熟な肺は広がり難い可能性があるからです。

当時闘病体験を読んでみると、かなり大変だと覚悟しました。

当時は、生存率50%でしたが、20年以上たった今では86%に上昇しています。

そして、染色体異常や心臓血管の異常を伴う場合もあるようです。

現在は、妊娠中に診断されることも多く、妊娠中に手術もできるようになってきました。

しかし、胎児のころからの肺の成長度合いによっては、長い療養が必要な方もいらっしゃいます。

医学の進歩と共に、沢山の命が救われることを祈るばかりです。

子供の手術を経験して、私たちは生かされている普通に日常生活が出来るのは、当たり前ではないと改めて感じます。

先日、わが子と同じ病名で、お子さんの退院後に呼吸器を自宅で使用して、奮闘しているブログを読ませていただきました。

本当に頭が下がりました。

そして、自分はまだまだだなと感じました。

そのブログのお話を読んだ中で気になったのが、励ましの言葉をかけてくれる方もいらっしゃる一方で、悪気はなくでも心無い言葉をかける方もいらっしゃるという事です。

私が共感したのは

「かわいそう」と言われることでした。

私も、子供を見て、言われた経験があります。

決して悪気なない発言だとは思います。

確かに、人間はその当事者にならないと気持ちはわかりません。

私自身も、知らず知らずに人を傷つけているかもしれません。

しかし、言葉は、ガラスの破片のように、時に人を傷つけることも大いにあります。

私は、かわいそうという言葉は、その時から使わないと決めています。

どなたも、それぞれ事情があって、精いっぱい生きているのです。

かける言葉に悩むなら、笑顔で、「お母さん子育てお疲れ様」

と私ならそういう風に声をかけて欲しいと思いました。

子育ては本当に大変な労力ですから。出来て当たり前だと言われると悲しくなります。

温かい目で見守ってほしいと思います。

子供の手術の経験も、普通の日常がいかに幸せなのかと気づかされました。

感謝するという気持ちを学ぶ必要があったのでしょう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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