4年ぶり母との面会、親子関係を振り返る。

母はもうすぐ90代になろうとしている。
現在は老人保健施設に入所している。


以前面会したのは4年前。

コロナが始まる前だった。


その後、面会制限やら、姑の葬儀やら、舅の手術やらでなかなか面会していなかった。

久々に面会して、今後何度会えるだろうと考えた。



子どもも大きくなり、来年は家族そろっての面会は無理かもしれない。


それで、今しかないと思い、今回は家族で面会した。


コロナが収束して、昨年からインフルエンザと同じ5類感染症になった。


それなにに、いまだ老人施設の面会は厳しかった。


具体的には、週に1組の面会。

3人以上の面会だとガラス越しで電話で会話。

しかも、時間は15分と短い。

それでも、久々に会う母は、嬉しそうな顔をしてくれた。

ガラス越しで鍵が締まっているドアを開けようとしていた。

〔母さんそれはさすがに無理だよ〕〕


想像していたが、4年経過で一層老人感が増して老けていた。


さすがに4年面会していないと、親不孝な娘だと自覚している。

母は、今まで軽費老人ホームに入所していた。


昨年から、新しい施設に入所。

入所した職員さんの話によると

母は「やさしくて、人気者なんです。」と言ってくれた。

職員の人のお世辞でも、母が自分で自分の居場所を作ったことに安心感を覚えた。

同時にもうすぐ90歳、あと何回会えるだろうか?

いまだに、転勤族で数百キロ離れた街に住み、面会もかなり少ない。

私も60歳になるまでに、今後の住む場所を確保しなければならない。

60歳までには、地元近くの市町村に移住したいと改めて思った。

今までの親子関係、母は共働きだった。



私は3兄弟の末っ子として生まれた。

私が物心ついたころから母は働いていた。

その為、小さいころから祖母と一緒に過ごすことがほとんどだった。

母の帰りは遅い。週末の日曜日には、疲れ果てた母は、ぐったりと眠っている印象だった。

私は、優しい母と祖母に甘やかされ、わがままな娘だったと振り返る。

実際兄弟は、私が結婚するときに「わがままな妹ですが」と説明していた。

そんな私に対して、母はピアノの習い事を快く承諾してくれた。

せっかく授業料を払っていてくれた母に対して、

私は遊びを優先させて、結局ピアノのレッスンは休んでばかりのダメな娘だった。

そんなことでは母は怒らなかった。

しかし、一度、母が怒ったことがある。


中学生の頃、成績が下がり勉強しないことに対してだった。


「勉強しなさい」
という母の言葉に、私は反抗していた。

当時はどうして勉強するべきなのかを理解していなかった。

その場で、「いやだ」と返答した。

その時、初めて頬を平手打ちされた。



勉強の重要性を具体的には説明されておらず、勉強する習慣もなく。

小学校から中学生になっていたと思う。

私は自分で勉強などは一切せず、唯一宿題だけは提出する程度だった。

成績などは全く気にも留めず、家に帰ればテレビを見て過ごすのみ。だらだらした、小中学生だった。

逆に母は、小さいころ家の手伝いをしながら、勉強をしていたらしい。 

母の場合は両親が早く亡くなり、16歳で嫁に出されたようだ。

そして、その娘の私は中学2年から成績が下がる。


勉強不足なので、当然といえばそれまでだ。

塾に通ったりや、通信教材などは一切していない。

今思えば、その時に努力して、自分の進路の選択肢を広げるチャンスであったかもしれない。

しかし、私は、だらだらと過ごしてしまった。


まとめ

久々に、母や親族の面会と両家の墓参りを果たして、すがすがしい気分になった。

今まで、なかなか帰省もせず過ごしていたからだった。

また、今回の帰省は、元上司の急な逝去の影響もあった。

50代とはいえ、必ず長生きするとは限らない。

それは、どんな年代でも命の保証はないし、今できる事を精一杯行う。という今を生きる必要性を感じたからだ。

これは、逝去した上司のお陰でもある。

仕事上いろいろなことが起こったが、元上司には感謝している。

そして、今後も、後悔のないように、今を生きるように努めていきたい。

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