職場の人間関係、退職しても続ける?

最近退職を決断した。
数年悩んだ末だった。


しかし、退職すると伝えた後に、同じ職場の人から言われた言葉に衝撃を受けた。

なぜなら、「退職後も話を聞いて欲しい」と言われたからだ。

私の本音の気持ちは、NO!である。

しかし、退職直前に、私が話を聞いてくれたおかげで今まで続けてこられたとの発言があった。

それに対しては、とってもありがたい言葉であった。

今までの職場の人との関係、悩みと気づき

今まで、職場の人との付き合いは、お茶や食事に誘われたら断らず応じてきた。

立場的にお世話になっているからだ。

本音はバッサリと「いやだ」と言いたい時もあったが、無理をする場合もあった。
断り切れない、弱い自分がいる。

その原因の一つは、人の要望に応えないと自分は価値がないと感じている自分がいたのかもしれない。

例えば、人の要望に応えると、「ありがとう」と言ってくれる。自分は役に立っていると自己肯定感が少し埋まるような感覚だった。

「勤務を取ってほしい」や、「交代して」、「この曜日は働けない」、「土曜日は月に一度しか働けない。」「この人とは一緒に働けない」などなど、了解すれば切りがないのいろいろなスタッフの要求が続いた。

もちろん、私自身も、他のスタッフに交代してもらうこともあった。

お互い様といえばそれまでだと思う。

同じ条件のパート社員なのに、他の人のフォローも多々あった。

数年は自分ができる範囲であるなら、快くやってあげようと行動していた。

それも、時間が経過するとともに、つらい気持ちになってきた。

「大人ですよね?」「自分の都合は言いますが、他の人はどうなんでしょう?」

自己主張すれば、何でも通るのでしょうか?と思ったこともある。

完全な被害者意識である。自分に妬みがなかったとは言い切れない。

また、自分が辞めたくても、他の人が辞めることが結構あったので、その補填の為に他のスタッフと共に対応に追われ勤務が多くなる。

扶養内勤務のはずが、時短勤務をするようになったりもした。

私が勤務を始めた直後から、スタッフの一人から、他のスタッフの愚痴不平不満を聞かされることが始まる。

度々勤務の時に話を聞く。それを繰り返すうちに、心が苦しくなった。

し・・しんどい、首や腕の痛みや痺れがたびたび出る。

そして、人間関係の摩擦や自己都合で人が退職する。

最後の方は、私は辞める人の気持ちを聞いても、結局退職することになった。

無力感に襲われる。その時は職場のスタッフ間の摩擦が原因であった。

私は喉が詰まるようになった。なぜ辞めることになったかを知っているのに、何の力にもなれなかった。

数年が過ぎ結局ほとんどの同業者は辞めていった。

私が以前退職を言った時、雇用主は許可されたのに、スタッフの一人に引き留められた。

雇用主は、そのスタッフから、信頼を得ており、その人の意見が受け入れられた。

なぜ?雇用主よりも、そのスタッフの意見の方が決定権があるのだろうか?

その時私は、このスタッフに必ず辞めることを認めさせると誓った。

過去の職場の人間関係で注意すべきだったことは?どうすれば自分は良かった?


私が職場での人間関係での行動は、人の要望に応えることを中心にしており、自分の意見や希望をほとんど言わずに過ごしていた。(つまり良い子のふりである。)

その結果、自分の意見を強く言う人の要望に応え、自分の意見を無視したために体調が悪くなったり、無理をしていたりして心がかなり苦しくなった。

年功序列で先輩を優先した。また、要望が多い人を優先した結果、自分や他の人も不満に思ったまま仕事を続け、私自身も早くから退職を考えるようになった。

自己主張を躊躇した結果、何でも相手の要望が通ると思われた?

結果、偏った人間関係の為か、結局スタッフが辞め続けた。

一番の反省点は、自分がイエスマンでいたことだった。

そして、人が不足していることを気にして、自分の気持ちを我慢して、すぐに辞めたいけどもう少しで辞めるからそれまで頑張ろう!

と下手な頑張り状態を続けていたことも問題だった。(あと少し我慢すれば状況が良くなるのでは?それって棚ぼたを夢見がち)

また、その後私を以前退職を引き留めた人から、今後も私が退職した後も

心の声:私の方は、退職してからもあなたのお話は聞きたくありません。正直言うと、かなりきついです。

そして、自分のことを理解してほしいというのは、どんなに近しい関係でもまず無理だと私は思っている。

それは、私自身が20代に感じたことでもあった。

20代の私は、友人に共感してほしい、理解をしてほしいと 自分の気持ちを聞いてもらっていた。

しかし、友人に話しても、同じ立場でないし(まず根本的に人生が違う)理解してもらうことはなかった。

今では、自分自身だけが理解できて自分自身で励ますことが一番の対策だと思っている。


話を聞いて欲しいという人に、今後の生活の節約のためお茶などは慎みたいとやんわりとお断りをした。

しかし、「お茶ぐらいおごってやる。」
というのである。

心の声:キャー!お願いだからやめてよ~心の中で汗が噴き出した。

申し訳ないのだが、私は仕事を辞めてまで、時間を割きたくないのである。

正直、仕事を辞めて、元職場の人の話を聞いてお茶をする心の余裕がない。

まして、おごってもらって、時間を作って、話を聞いてと言われても困る。

なぜなら、その人と過ごすとぐったりと疲れる。私は話を聞くのが好きだと完全に思われている?それとも友達だと思われている?・・・

残念ながら、私はそんなに菩薩のような人間ではない。

思い返すと就職してから、その人にたくさんの時間を、愚痴や不平不満を職場の人の悪口を聞かされることに使ってきた。


そして、そのことにより、職場の人たちを色眼鏡で見てしまう自分がいた。悪影響。

しかし、自分がそれを赦して受け入れて言いなりになった、その結果である。(自分の軸がなさ過ぎた)

最初の数年に比べると最近はだいぶ愚痴の度合いが減って安心していた。

このままでは、退職しても今までと同じではないか?

私はその人の感情のゴミ捨て場ではないのだろうか?と勝手に自分の被害者意識が働き始める。

相手にとっては愚痴を聞いてくれる便利な人なのかも?。もしかして、本人は愚痴を話すのが交友関係だと思っているのかもしれない。

どちらもお断りしたい。いっそ、遠くに引っ越したい。逃げるが勝ちかも!

今までの自分の弱さに後悔の念があふれ出す。

しかし、その人は悪ぎはない。正しいことをしていると思っている。私が喜んで付き合っていると思っているかもしれない。

それだけではなく、彼女にとってもデメリットがある。

これは、彼女が気づかずに続けてきた行動パターンであり、発言によりマイナスな言葉が強化される。

ハッキリ言って、問題が解決するどころか、またほかのマイナスを引き起こしている可能性もある。

不安が強いために相手に同意や自分の肯定を求めているのは想像できる。

一方で、私が話を聞いて、「そんなに悩むならば本人に話したら良いのでは?」と提案してうまく運んだこともある。

彼女なりに、ここ数年で発言が前向きにはなってきていることは、私から見て確かであると感じる。

その要因の一つに、その人が成長したことと。
もう一つ、その人の苦手な同業者のスタッフは辞めていったからである。

その人がすごいと尊敬できる所は、職場で、バチバチに喧嘩をした相手であっても、懐かしさや愛おしさを感じていることだ。

また、人の話に深く踏み込むことができるのもすごい!

普通の人ならそんなこと聞いても大丈夫?なこともぐんぐん深入りできる。

私にはまねできない、その人の良さなのかもしれない。

結果として、今までの時間の無駄と思っていたことも、自分がどう相手に接するべきであったかという気づきを得られている。

人間関係でも、マイナスとプラスは同等なのかもしれない。

まとめ

人は鏡と一般的に言われることを考えると、おそらく私にも共通する影の部分があるのかもしれない。

よくその人からの発言で

「こう行動すればいいのに、なんでやらないの!」

「どういえば相手が黙るのか考えるのが好き」

「理解できない」

上記の言葉をよく耳にした。自分の意見が正しいと思うのは、私自身にもあるかもしれない。

こうすればいいのに・・・は、私にもある感覚だ。しかし、他の人との意見と価値観は必ずしも一致しない。

まして、年齢的にもそれぞれ成熟した大人なのである。

その人の意見も、他の人の意見も考え方が違うだけでどっちも正解である。

また、意見をお互い尊重しなければ摩擦が起こってしまう。

お互いを尊重し合い、お互いが納得する着地点を見つける事が特に重要だと思った。

もちろん、お互いが冷静に意見を交わし合えるという事が前提だと思う。

今まで、「どうしてこうするの?」「なんで?」相手を理解できない発言や批判からスタッフ間で摩擦が起こった。もちろん私自身も感じる感情だ。

それを直接相手に伝えることは、私にはできない事だった。

でも、そのスタッフは直接ストレートに伝えることが多かった。

しかし、残念ながら、ぶつかって仲良くなると考える人ばかりではないのは明白である。

 
「これからも」という衝撃の言葉を聞いてから、その時は感じなかったなぜ?という感情が後から湧き起こった。

なぜ?とその怒りともとらえられる思いは、自分の感情を抑えて人に合わせて来た結果引き起こされた。

つまり、自分を大切にできていなかった。

また、怒りの下には悲しみの感情が隠れているかもしれない。

その人が、私が退職する理由が多少関わっているとは全く感じていないと思う。


もちろん他の理由での退職と話している。それを知ってほしいとも思わない。

過去の自分は、すごく相手に合わせて、その人の誘いを断れずに、休日買い物や食事やお茶まで一緒に行った。

すべてが苦痛なお付き合いではなかったが、時々かなり合わせている場合もあった。


その人は自分が無理して付き合ったなどとは、みじんも感じていないと思う。逆になぜ嫌なら断らないと言われかねない。

数年後に、さすがにお断りするようになった。


そう考えると、過去の私自身は仮面をかぶって、相手を欺いてきた。
私自身の態度も罪深いとも感じる。


仕事での人間関係を考えて、無難にやろうと無理をしたかもしれない。

という事は、ただただ、自分を守りたかっただけではないのか?

また、彼女をみながら、自分が10代~20代の時に、同じような状態だった。
若い時、自分は悪くない、周りが悪いと人に愚痴をこぼしていたことを思い出した。

この人は過去の自分と少し似たことをしていて自分が引き寄せたのではないだろうか?

そして自分が過去の出来事を解決できていないからなのか?=過去の感情に縛られている?

また、その人に合わせて、自分の利益を得ていたに違いない。確かに何かあれば、自分の味方になっていてくれた。

その結果、今の現状である。

ダメな自分を認めるそのまま受け入れる。このことは頭では出来ているようで、できていなかったように感じている。

人に強く言われると弱い自分が顔を出す。それが私の癖で過去からの課題である。

結局は、自分の責任で起こったことで、自己責任であったと感じている。


しかし、過去の他のスタッフのようには、もめて辞めたくない。
時間はかなりかかったが、何とか退職を同意してもらえた。

ただ、一つの救いは、辞めることによって距離ができる事である。

今まで、毎日のように顔を合わせていた。

これからは、私が、応じなければ合わないという選択もできるので少し希望が湧いてきている。

ダメな自分を認めて、前に進みたい。

今後、同じようなことを言われた場合は、短時間の電話のみで対応していきたい。

それが自分の素直な気持ちからの発言なら、自分に〇をしたい。

もう人に否定されてもいい。自分を大切にできないのなら・・・・

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